2月28日 (月)  秋野先生を偲んで

昨日テレビ朝日系の昼の特番で、98年7月20日に内戦中のタジキスタンで反政府武装勢力に狙撃され48歳で亡くなった国際政治学者・秋野豊氏の足跡を追うものがありました。

秋野氏は旧ソ連圏と東欧諸国の専門家で、僕も長い年月を過ごした筑波大学の「名物」助教授でした。98年4月に一度(書類上は)大学を去る形で国連政務官として内戦の続くタジキスタンに赴き、和平交渉の現場で大活躍をするさなかでの悲劇でした。僕自身は大学院時代に先生の講義を聴く機会には恵まれなかったのですが、その後同大学に勤務した数年間、たまたま同じ学部だったので会議やそのほかの折に接する機会がありました。最後の教員会議の時にも「じゃあちょっと(大学を)留守にします」というような感じで、まさか学内の誰もがあのような結末を迎えるとは夢にも思わなかったのです。その頃学生に聞いた話では、恰幅がよくラグビー、柔道の達人でもあった秋野先生はある講義の際に「自分をやっつけることができるのは銃弾くらいだ」と冗談まじりに言っておられたくらい・・・。そして学内で先生を知る教員、学生、事務官の誰もがその気さくな人柄−いい意味で、少しも学者っぽさを感じさせない人柄−に心から惹かれていたのは事実です。

先生の訃報に接した後、学内に置かれた記帳簿に「地域研究とは自分の足で現地を歩いてこそ成せるもの、それを教えて下さったのが先生です」というようなことを書いた記憶があります。そういう思いで昨日の番組を見ていたら心から泣けてきました。ナビゲーターの泉谷しげると優香も非常に真剣な姿勢で好感がもてましたが、ご家族、とくに現在27歳の娘さんの言葉に心をうたれました。秋野先生の身体に入っていた何発もの銃弾を火葬場で渡された時に、彼女は父の命を奪ったそれらを不思議と冷静に受け取れたらしいのです。しかも「紛争、憎しみの連鎖はもっとも悲しいこと、そういう憎しみは父親が全部身体で受け止めてくれたのかも」とまで語っておられました。先生から学ぶことは沢山ありますが、この娘さんの言葉を胸にして、現在も世界中で起こっていること、たとえば今のアメリカ(そしてそれに徹底追従する日本)とイラクの関係などを思えば、本当に深く考えさせられます。秋野先生が遺してくれたものは大きいし、これからも僕達がやるべきことはたくさんある、そういうことを考えた一日でした。