7月26日 (火)  パコ・デ・ルシアの演奏会

つい数週間前の本コーナーに書いたばかりの超人ギタリスト、パコ・デ・ルシアの来日の報に接したのはその直後のことでした。今回は4年ぶりの来日で愛知万博での演奏のために来たそうですが、東京でも3回の一般公演がありその最終夜である今日聴きに行って来ました。僕にとってはパコを生で聴くのは7年ぶり。それにしても、何だこの興奮と緊張は!と思わせるような雰囲気が早くも開演前に、2千人で満員の東京芸術劇場には漂っていて、実際僕も手のひらに汗までかいていました。そしてパコがまずは1人で登場、割れんばかりの拍手と歓声が静まり最初のコードが弾かれてから2時間もの間、彼の自由自在の超絶テクニックともはや深すぎる音楽性に酔いしれました。「情熱のフラメンコギター」なんていう宣伝文句もパコのステージには無用、とにかく「アーティスト」としての偉大さを強烈に感じさせるカリスマ一色に彩られた夜でした。そういえばパコは25年位前のインタビューで「存在するのは音楽家であって音楽ではない」という名言をはいていましたが、当時中学生だった僕はその意味がディープすぎて訳が分からなかったものです・・・。

さて、今までのパコのコンサートではソロは最初の2曲程度で後は他のメンバーとのセッションが主体となっていましたが、今回は前半の1時間、時折サポートメンバーが登場する他は基本的にソロギターだったので、これもギターフリークにとっては大きな喜び!幕開けはロンデーニャという、ギターの3弦を通常のソからファ#に半音下げることによって独特のアラベスク風の旋法を生み出すフラメンコの古い一形式に基づいた即興。早くもいつもの超絶スケール(早弾き)が炸裂していたが、最終公演のせいか58歳にもなるパコに若干の疲れが?、と思わせる節もありました。しかしそれは単にまだノッていなかっただけであって、以後のソレア・ポル・ブレリア、ブレリアス、ミネーラ、アレグリアス(註;全てフラメンコの形式名)ではこれでもか!というくらいの迫力で聴かせたのです。まさに怒涛の名演。ミネーラの最後部分はなんと懐かしのファンダンゴ・デ・ウェルバのパコ流ファルセータ(フレーズ)が入り、斬新なコード&スケールの中にもパコの体に流れ続けるアンダルシアの血というものを思い起こさせるもので、なにかしみじみとした気分にさえなりました。休憩をはさんでコンサートの後半はグループ(ラテンパーカッション、エレキベース、女性フラメンコボーカル、キーボードなど)によるフュージョン色の濃い演奏でしたが、こちらもけっこう懐かしいパコのオリジナルナンバーが揃い、また、新曲の中にも即興で昔のフレーズが出てきたりして、古くからのファンにはたまらない内容だったと思います。とにかくコンサート終了後も、全身全霊を完全にノックアウトされたような状態でしばらくは何も考えることが出来なかった程の、それは凄すぎるコンサートだったのです。うーん、まさに「存在したのは音楽でなく音楽家」だったんですね!

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