3月23日 (金)  今更ながら(?)ピアソラに涙して

アルゼンチンタンゴの革命児ピアソラ(1921-92)、この人はむしろ亡くなってから(奇しくも同国フォルクローレの至宝ユパンキと同年没)ジャズやクラシックなど他ジャンルの著名ミュージシャンによりその作品が広く演奏されるようになり、結果日本でもポピュラーな存在となったと言えるでしょう。実は過去に3回来日しているのですが、その中でも最高の演奏と語り継がれている初来日の82年11月の東京ライブが2枚組CDとして日本で発売されたのが04年、ところがその年はまだボリビアに住んでいたので最近までうかつにもこのCDの存在を知らなかったのです(「アストル・ピアソラ"ライヴ・イン・トーキョー1982"」)。

そして先日近所で早速購入して家でかけてみたところ、あの感動が一気によみがえった思いになりました。そのコンサートは83年3月にNHK−FMで流されたのですが、当時高1だった僕は"エアチェック"(懐かしい響き!)を試み、少ない小遣いはたいてかった上等な"クローム"テープに無事録音でき、その演奏の凄さに驚嘆、以降朝も晩も聴きまくっていたのでした。その頃の僕は「タンゴ」といえばガルデル、カナロからピアソラまで節操なく聴いていたのですが、それでも確かにピアソラの音楽は中毒になりそうなくらい衝撃的でした。

ピアソラが伝統的タンゴファンから嫌われていたのはよく知られていますが、その初来日公演もやはり賛否両論だったそうで、なんとアンコールの1曲目で2〜3割のお客さんが席を立って帰ったそうです(CDライナーノーツより)。それでもさすが「我が道を行く」、1950年代からすでにタンゴの異端児として本国でも名をあげていたピアソラは来日時のインタビューで「私の戦争は55年に始まったんだ。その時は火星人だと思われていた」とユニークに(あるいは大真面目にか?)述懐しています。

そんなわけでこの録音は僕にとって特別な意味を持つものでした。ピアソラ自身の音楽観というものを超えて人生観とか音楽家としてあるべき姿を後世にくっきりと呈示してくれるような、そんな宝物を与えてくれたこの"火星人"を偲んで今宵もアルゼンチンワインで乾杯しよう・・・。

(↓ジャケ写真)

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