3月19日 (月)  宮城県仮設地域での訪問演奏

3/19(月)、もっとも震災・津波被害が甚大であった
宮城県の東松島と石巻の仮設住宅地域を訪ね、
智詠さん(ギター)と演奏してきました。

最初に午前中にひとりで仙台入りしてすぐ、
震災の2週間前まで朝日新聞石巻支局長だった
旧知の高成田享・元論説委員ご夫妻と嬉しい再会、
早めのランチがてら震災時のすさまじい取材の記憶などの
貴重なお話を聞きました。

この高成田さんは震災後すぐに孤児支援のための
NPO「東日本大震災こども未来基金」を立ち上げ、
以後その代表として疾走しておられます。
(↓同氏のHP)
http://www.takanarita.com/profile/

さて、今回の仮設訪問は、
仙台在住のフォルクローレ奏者で昨年6月から
仮設地域でケーナ教室をボランティアでやりつつ
支援物資を届け続けている友人・植松純子さんのおかげで
実現しました。
当日は植松さんと、東北を代表するチャランギスタ植月佳奈さんにも
同行いただいて、最初に東松山(矢本)の仮設内にある
「ひまわり集会所」を訪問。

ここの仮設は宮城でも一番活気があるそうで、
確かに聴きに来られた方々(60歳以上の女性が大半)も
僕のギャグMCにほんとうによくつきあって下さり、
また、よく笑ってくれました。
演奏途中でいきなり「石やきいもーーー!」の屋台が
周囲を通り、
急遽智詠さんはフラメンコの唄の伴奏ギターに似せかけ、
僕の方も「石やきいもーーー♪」、
これには一同大爆笑!!
きっと当日いらしていた方々に一番印象に残った
レパートリーとなったことは間違いありません(笑)。

そうは言っても当初はMCでどんな言葉を選べばいいのか迷いましたが、
みなさんの明るさに救われた気持ちでした。

演奏後はしばし車座みたいになって楽器弾きながら雑談、
終始明るい雰囲気でしたが、
最後に「震災はつらかったけれど、(今日のような)こういう
出会いもあるんです」という言葉を代表の方からいただいた時には
胸が締めつけられました。

後半に訪ねた石巻、途中甚大な被害をうけた車道・海沿いを
通りその凄まじい風景に絶句しながら到着、
そちらではこじんまりとした10畳くらいの部屋で
植月さんも何曲か加わって、やはり和やかに進みました。

中に、在住20数年のペルーとボリビア出身の奥様がいて、
祖国の音楽を涙まじりで聴いてくれたのには
こちらも胸が熱くなりました・・・。
怒涛の中で脱出しかろうじて命だけは助かった南米のお二人の
お話を詳しく聞き、想像を絶する思いでした。

石巻の仮設を出たのが夜6時半頃、
その頃には凍るような寒さの強風が吹きつけていました。
昨年の震災時にはほんとうにみなさんどんなのだったかと思うと、
気の毒で、悲しくてたまらなくなりました。
捜索活動が一時打ち切られた最初の夜にこの寒さの中で
家を流されて行く場もなく亡くなった方も多いでしょう。

前半に行った東松島での別れ際にあるご婦人からいただいた
筆ペン書きの短文を東京への帰路に何度も見て、
当たり前ながら自身の無力感にも襲われました。

でもその文をあえてここに書いておきます。
「右へ行こうか、左にしようか、まだやり残した事があるの、
もう少しだけ待ってて下さい、あなた」。

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PD; こういう話をたかが半日滞在しただけの自分が
ネットにアップして良いものか迷ったのですが、
短時間の経験でもやはり伝えなければならないと思いました。