月日のうつろひ 2005. 5
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5月28日 (土)  ボリビア情勢の悪化

ボリビアは今週始めから久々に大規模なストライキ、道路封鎖などの社会混乱に陥っています。今住んでいるラパスでも、サンフランシスコ教会から大統領府、上院などがあるムリーリョ広場までの市内中心地域ではデモ隊と警察軍の衝突が日中ずっと続いていて、催涙ガス弾(政府軍側)やダイナマイトの威嚇(鉱山労働者側)のけたたましい音も日に日に激しさを増すばかりです。26日(木)にはとうとう長距離バスターミナルや国際空港までマヒしてしまい、実質的にボリビア各都市は孤立した状態に近づいています。

今回の社会混乱はこの17日に議会を通過した「炭化燃料(石油・天然ガス)法」に対する修正要求やサンタクルス県の自治権をめぐる問題といったタイムリーな出来事に加え、今までたびたびストライキを行ってきた各社会セクター(農民、鉱山労働者、教員、保健分野労働者など)が加わる形で今までになく深刻なものとなっており、現在のところ解決の見通しはまったく見えてこない状況です。今週中頃にはカルロス・メサ大統領の辞任説や軍事クーデターを思わせる動きがありましたが、最初から僕自身は気にはかけませんでした。国際援助(多国間および2国間)によってかろうじて生き永らえているかのようなこの国は、軍事政権になってしまうとそれらが一気にひきあげられ直ちに破産国家になってしまうからです。最近の軍人テクノクラートはそれほど馬鹿でもないので、かつて80年代初頭までは「新米であれば軍政も歓迎する」といったスタンスをとっていたアメリカ合州国をあてにすることはできないことをよく知っているはずです。

またいつものことながら、路上で危険を承知で争っているのは褐色の肌をした低所得層の人達(多くは先住民出自)。警察軍の表情も普段は「お前らも同じ貧しい階級の出身なんだから言ってることは分からんでもないが、こっちも仕事だから仕方ないな」というのが本音のような(実際様々な軍人からそう聞いたので本当だと思う)雰囲気が感じられますが、衝突がエスカレートするにつれて双方の表情も真剣になってくるのがなんとも悲しいです。あらゆる「戦争」の特徴である「感覚のマヒ」というものを感じざるをえないからです。早く前向きな形で収斂に向かってほしい、でも自分などに出来ることは今のところ何もない・・・、そういうジレンマに陥っている毎日です。


5月15日 (日)  キューバから戻って

昨日キューバから戻ってきました。2001年秋、2003年夏に続けて3度目の滞在でしたが、毎度ながらキューバの変貌を目の当たりにしては考える事が多すぎて頭がパンクしそうな思いです。一言で言えば、今のカストロの革命政権が今後どのように厳しい現状を乗り越えて行くか、これにつきます。詳しくはまた「私論ラテンアメリカ」にじっくり書こうと思います。とりあえず今は自分の中でも整理できていないので、同「私論」には僕が2年前のキューバ訪問直後に書いた印象記を掲載しておきます。さて、今回の滞在のハイライトと言えば、オルギン市(キューバ東部、サンティアゴ・デ・クーバの北方)の「”Romerias del Mayo”世界文化フェスティバル」で演奏できたことです。この文化祭にはキューバのみならずスペインやラテンアメリカ各国から音楽家、画家、写真家などがやってきて1週間にわたってそれぞれの芸を披露するのですが、その日のプログラムが終了したら毎晩徹夜のパーティー、30度を超える街でのキューバ産ビールの美味しかったこと!(でも1分でぬるくなる・・・)、そして各国の芸術家(若年層がほとんど)やオルギン市文化担当関係者との語らいは忘れることができません。僕は最終日の5月7日(土)に30分ほどひとりで演奏しましたが、今度の新作CDに収録した自作曲「チェ・ゲバラに捧げるカルーヨ」をキューバで演唱するという、とても貴重で嬉しい経験をしました。また、キューバの人達は「陽気なカリブの国」というイメージとは少し違い、演奏中は誰一人雑談もせずとても静かに聞いてくれたので、まるで日本で演奏しているような雰囲気でした。こんなところからも、この国の人々の文化にたいする思い入れを感じる取ることができました。また後日、オルギンからハバナに向かってバス7時間の地点にあるサンタ・クララでチェ・ゲバラの現在の墓地(97年まではボリビア)を訪ね、気が引き締まる思いをしたものです。そしてまたこの国を訪れたいと強く思いました。

(↓オルギンでの演奏)      (↓チェ・ゲバラの墓地)

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5月8日 (日)  Desde CUBA (Cuba yori)

Hola!, es un gusto saludarles a todos amigos mios. Como me encuentro todavia en CUBA donde es casi imposible acceder al sistema cyberico (Internet), particularmente en las provincias de este pais, les doy mil disculpas por no estar pudiendo recibir y contestar a sus E-Mails, pero desde el dia sabado 14 de mayo, ya puedo abrir bien mi casilla del correo de hotmail, ya que voy a regresar ese dia a La Paz, BOLIVIA. entonces les pediria un poco de paciencia!! Gracias!

Senshuukara CUBA ni imasuga, konokunidewa E-Mail ga hotondo uketorenai joukyounanode, 5 gatsu 14 nichi ni LA PAZ ni modottekara yoroshiku onegai-itashimasu. Gomeiwaku okekeshimashite sumimasen.


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