月日のうつろひ 2005. 6
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6月26日 (日)  ロランドさん

昨日吉祥寺でアカパナ(前称;ムシカ・デ・マエストロス6重奏団)の一般公演がありました。世界屈指のケーナ奏者ロランド・エンシーナスがラパスで17年前に創立したオーケストラ「ムシカ・デ・マエストロス」の中の6人(時には7人)が日本で小学校コンサートを主軸にしたツアーを始めてもう6年になりますが、ハードなスケジュールを縫っていつも「一般公演」という形で日本のファンに素晴らしい演奏(学校向けでなく彼ら自身のオリジナルレパートリーが中心、という意味でも。)を披露してくれています。今回も創作組曲「スリマナ」を含め自信に満ちたステージ、そしてさすがに日本の聴衆は「大曲慣れ」しているのかどうか分かりませんが、聴く方のマナーとしても日本は1流だなと会場の雰囲気から感じました。

演奏後の打ち上げは地元のフォルクローレ愛好家の方々が主催して下さり、40人以上の老若男女ごちゃまぜで「ビバ・ミ・パトリア・ボリビア(祖国ボリビア万歳)」の演奏でメンバーらを会場に迎え入れ、その後は疲れ知らずのアカパナによる演奏が延々と続いた賑やかなものでした。また、ビュッフェ形式の食事中、ロランドさんがスパゲッティーやピザなんかを小皿に取り分けて僕らに「どうぞどうぞ」と振舞ってくれたのには、彼をよく識る者としていつもながら感激しました。きっと彼に初めて接する日本のファンの方々も、そのちっとも気取らない純朴で優しい人柄に感銘を受けたことと思います。僕がボリビアのムシカ・デ・マエストロスで度々演奏するようになって4年の歳月が過ぎましたが、ロランドさんのサービス精神というか気配りにはいつも頭の下がる思いで、演奏旅行なんかに行けばまるで修学旅行の引率の先生のようで微笑ましいというか。そう、ボリビアのミュージシャンは(もちろん僕も含め)旅行ともなるとバスでもホテルでもまるで子どものようにはしゃぎまくるので大変なのです・・・。

演奏活動などを行っていて時に感じることがあります。ステージの大小にかかわらずいつも温かい、時には熱狂的な拍手をいただき、打ち上げなんかでも僕の大好きなお酒で心から歓迎してもらえる・・・、演奏者冥利につきることなのですが、そんな中で自分の本質や原点を見失ってはいけないのだと。ましてや「プロアーティスト」特有のおごりなど言語道断。そもそも厳密には「音楽」の下にはプロもアマも有名無名も存在せず、言ってみれば芸術を真摯に求め続ける心、スピリッツがあるかどうかが最も大切なのではないでしょうか。ロランドさんの音楽や人となりに日頃から接していると心から温かい、幸せな気持ちにさせられると同時に、自らを振り返っては音楽面でも人間面でも未熟さを痛感せざるをえないのです。それほどまでに、11年にわたる彼との親交には感謝でいっぱいです。


6月18日 (土)  ウルフルズ!

ちょっと縁あって、昨夜は渋谷公会堂にあのウルフルズのライブを聴きに行ってきました。同じ世代の関西出身ということで、しかもコテコテの大阪弁ロックというのもあり実際に生で見るのは楽しみだったのですが、まず少し遅れて会場に入った途端、すでに始まっていたコンサートの熱気に圧倒されました。最初は居場所を間違えたかと思ったくらい。2千人程の観客の90%は20代〜30代の女性、もちろんずっと総立ち。中には腰の後ろに手を組んで神様を拝むような顔で酔いしれている女性なんかも。内容は終始「お客参加型」のもので、振り付けが分からないと自分だけ浮いたような気分にさせられるのですが(笑)、それ以上にお客さんを怒涛のノリで楽しませようとするボーカルのトータス松本のプロ根性がひしひしと伝わってきました。奇人ジョンBチョッパーのベースも意外に(失礼)巧かったし。音楽そのものは現代ロックというより60〜70年代のブルースやソウルを合わせたような、言ってみればけっこう古風なプレスリーばりの「ロックンロール」なんですが、これがけっこう関西弁のノリとかみあっていて、なんか小学校高学年の時に大好きで自前のバンドでコピーしていた世良正則&ツイスト(こっちは広島弁だけど)を彷彿とさせるものがあります。今までCDでは単調なイメージしか感じられなかった曲群も、さすがライブになると熱い熱い!やっぱりお客と見事に一体になれるところなんかライブミュージシャンのお手本のようで、学ぶところはたくさんありました(まさかチャランゴでウルフルズのモノマネはしないと思うけど!?)。何よりも音楽、歌詞ともにこれ以上考えられないくらいシンプルなのだけど、それぞれの聞き手に「それぞれの解釈で」ビンビン伝わるメッセージ性を十分に備えている、これが彼らの最大の魅力のように感じました。


6月15日 (水)  日本に帰ってきました

3ヶ月のボリビア滞在を終えて日本に戻ってきました。まだ到着直後ですが、思ったより時差ぼけや長旅の疲労はありません。今回はボリビア情勢の悪化する中での帰国(あるいは出国?)だったので、まるで「国外脱出」のような雰囲気でしたが、久々の日本もあいにく梅雨の時期、日本の梅雨は7年ぶりで予想通りの湿気に僕もキルキンチョ(チャランゴの共鳴胴に使われるアルマジロの甲羅)も早くもバテ気味。でもそんなことも言っていられません。14ヶ月の作業の後に遂に完成した新作のマスターで今回ごく短期間でプレス&ジャケット作成しなければならないという重要な作業をかかえています。願わくば、この7月26日〜30日にボリビアはオルーロ市で開催される「第5回国際チャランゴフェスティバル(5to. Encuentro Internacional del Charango)でこの新作CDを世界中のチャランゴ関係者に発表したいと思っています。同フェスティバルはボリビアで2年毎に開催されるチャランゴ界最大規模のもので、今年は日本人チャランゴ奏者も私含め5名参加する予定となっています。とりあえずここ数ヶ月の中南米各地での写真などをフォトギャラリーにアップして行きますので、みなさんこれからもよろしくお願いします。

(↓やっぱり日本に帰ってから最初の食事は刺身でした。)

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6月11日 (土)  ボリビア情勢の沈静化(?)

数週間にわたって続いたボリビア国内の社会混乱は、今月9日(木)深夜に憲法上の首都スクレ行われた臨時国会でカルロス・メサ大統領の辞任が正式に受理され、同時にやはり各社会運動セクターからの批判が強かったバカ・ディエス上院議長、コシオ下院議長らが辞任を表明、暫定大統領にエドゥアルド・ロドリゲス最高裁長官が就任することによって、一時的に収まったかのようです。とは言っても根本的な社会問題になんら解決の見通しはなく、今後の政局の行方も不透明な状態です。ちょうど僕も9日発のヴァリグ・ブラジル航空便で日本に帰る所だったのですが、同便が欠航したことにより帰国が来週に延びてしまいました。その代償(?)かどうか分かりませんが、大統領就任式などをリアルタイムで見ることが出来ました。

ロドリゲス新大統領は政党色はないものの、コチャバンバ出身の、見たところ典型的な白人系エリートで同市サン・シモン大学法学部卒業後、米ハーバード大学で行政学のマスターを取得、以後一貫して法曹畑で活躍してきた人。ただ、緊張気味の就任演説の中で、「現況も含め数々の社会的困難を経験しつつもボリビアは20年以上にもわたって安定したデモクラシーを享受している」と発言したのには僕も戸惑ってしまいました。ついこの間の5月25日のスクレ記念日にメサ大統領(当時)が同様の発言をし、国の現実に対し目をつむっている、との批判が集中したところだったからです。まあ近々行われる予定の総選挙までの「つなぎ」であるに過ぎないので、一応穏健派に落ち着いて無難な選択だったとは思います。

それはそうと、今日あたりからは街中にもタクシー、バスなどがようやく動き始め、商店街やレストランもシャッターを開け、人々も普通に街中を行き来しているのを見ると、「平和」であることが(それが一時的であれ)いかに貴重なことかを実感します。またここ数日、最もデモによる衝突の激しいダウンタウンの安宿に滞在している日本人バックパッカーの集団に当地の日本大使館員が数度にわたって安全な地域(南部の閑静な住宅街など)か国外への避難を直接説得しに行ったのにかかわらず、依然として危険地域から移動しようとしない日本人旅行者らがいるのには閉口してしまいました。昨年あたりから日本国内でも「自己責任論」がはびこっていますが、近くでこのような下らない状況を見ていると、日本人の「平和ボケ」もはなはだしいものだと憤りを感じざるをえません。


6月5日 (日)  ハイメ・トーレスとの再会

相変わらず政情の悪化する一方のボリビアを後にして、今月2日から4日間だけアルゼンチンのブエノスアイレスに行って来ました。実は僕が初めて「外国」の地を踏んだのはこのアルゼンチンで、今から17年少し前のことでした。当時はオーバーなくらい抑揚のきいたアルゼンチンの、しかも強烈なスピードのスペイン語に慣れるのが必死だったのを思い出します。今回は出来たての新作アルバム音源を師匠であり無二の友人であるハイメ・トーレス氏(ブエノスアイレス在住)に聞いてもらうことが主要な目的でした。しかも滞在中はハイメ氏とご家族の厚意で自宅に泊めてもらい、自分の新作についてあれこれ貴重なアドヴァイスをたっぷりいただくことが出来ました。ここでその内容を詳しく述べることは不可能ですが、一番感動したのは、ハイメ氏が「私はあなたの心からの友人であるから、表面的な美辞麗句を述べるつもりはない」との前置きの上で、僕の新作の中の「共感しうる点」と「そうではない点」を一言一言丁寧に説明してくれたことです。しかも「私はあなたに何かを注文つけたりする資格などは何もない」と言われた時には、20年近くにわたる自分の師だけでなく、アルゼンチン音楽界の重鎮であるのにいつもきさくなこの巨匠の人柄の深さを改めて思い知った気がしました。音楽のみでなく人柄で心を震わせることのできる稀有な芸術家、考えてみれば世界的巨匠というのはどんなジャンルの人でもそういう共通点を持っているのかも知れません。

ところで、今回初めて思ったのは、ハイメ氏のようなマエストロと言えども別の人間であるからには、そろそろその大きな影から芸術的にも「脱皮」しなければならぬ時期が来ているのでは、ということ。もちろん偉大なる師の良き部分は受け継ぎながらも自分の道をより明確に歩まねばならない、そういうことだと前向きに解釈しています。今度出る新作CD「チャランゴ巡礼」がその一歩になるかどうか・・・、と自問する毎日なのです。

↓1986年の初来日時(京都)  ↓2002年、ビリャ・セラーノ村(ボリビア)にて

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