月日のうつろひ 2006. 2
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2月20日 (月)  金婚式のはなし

先週末に、歌手ダビー・ポルティーリョさんのご両親の結婚50周年記念式(いわゆる金婚式)に招待されて行ってきました。ラパスでも高級住宅街にある教会での式でダビーさんと2人で3曲ほど演奏した後は、場所を親族の家に移し50人くらいの親類一族での大パーティー。そりゃ結婚50年なんて気の遠くなるような偉業なので(特に離婚率が高いラテンの国では)ご本人たちはもちろん、集まった人たちの感動も大変なものでした。

で、乾杯の次にご両親のスピーチがあったのですが、それが実に忘れられないものでした。と言うのも僕自身これまで中南米各国を回ってきてそこで必ず友人知人夫婦に聞いたのは「結婚生活を長く続ける秘訣」。結婚43年になるアルゼンチンの某大師匠の奥さんは、ただ一言「パシエンシア(忍耐)」。うーん、耐え抜くことか。そういう答えはキューバでもペルーでも同じでした。ただ、最近ボリビアで離婚した知人から聞いたのは「パシエンシア」じゃもう手遅れなので、「トレランシア(寛容)」こそが重要、ということ。なるほど、確かにパシエンシアよりは聞こえも中身もいいな、と思ったものです。

ところが、です。ダビーさんのお父上は笑顔で「みんな秘訣を知りたがっているけれど、それはただ一つ(一同沈黙)、レスペット・ムトゥオ(互いにたいする尊重)だよ。僕たち人間はみんな、別々の個性を持って生まれてきた、それは夫婦だってもちろん同じです。私たちも今日50周年を迎えることができたものの、今までの道のりすべてがバラ色だったとは思わないで下さい(一同、笑)」。

本当に感動的な、そして心が洗われた一日であり、世界一のカップルに出会ったような幸せな気持ちにもなりました。

(ボリビア・ラパスにて。)


2月14日 (火)  ボリビアにやって来て

5ヶ月ぶりにボリビア・ラパスに来てもうすぐ1週間になります。前々からこちらの友人らに聞いていた通り今年は特に雨が多く、午後からの外出は「危険」なくらいの集中豪雨が毎日のように降ります。一昨日の夜には大粒のひょうが激しく降り、洪水地域のレスキューにあたっていた市役所の職員が一人河に流されて亡くなりました。その方というのが僕の今(というかいつも)ホームステイさせてもらっている友人一家の長女の上司で、しかも共に救助活動を行なっていた目先での悲劇だったので話も生々しかったです。自然の脅威は世界中どこでも同じでしょうが、特にこういう途上国では防災対策やインフラ整備が遅れていることを痛感させられます。

さて今回は4月6日までちょうど2ヶ月のボリビア滞在ですが、主な目的は大御所シンガーソングライター、ハイメ・フナーロとの新作レコーディングです。ハイメ・フナーロはこの国のヌエバ・カンシオン(70年代の軍事独裁期から盛んになったいわゆる「社会派」の音楽)の重鎮で、70年代に伝説のグループ、サビア・ヌエバを弟のセサルらと結成し、その後90年代になるとソロ歌手として独立、ここ数年は家庭の事情でパリに住んで創作活動に励んでいます。でもやはりレコーディングともなると故郷のボリビアが一番のようで、今回も数ヶ月の期間ラパスに滞在しています。考えれば僕と同じような境遇?

その新作ですが、歌とギターだけのデモはハイメ自身の手で仕上がっており、現在アレンジ(編曲)を僕とセサル・フナーロ氏、そしてギタリストのファン・カルロス・コルデーロ氏の3人で手分けしてやっている最中です。音楽性の異なる3人のアレンジャーによる作品(しかも僕以外の2人はマエストロ級!)というだけでハイメさん自身は楽しみなようですが、なんせ時間が限られているので焦らず、しかしそれなりにペースを気にしながら進めていこうと思っています。多分3〜4月にレコーディングが終了し、市場に出るのは(日本でいう)夏頃、発表記念コンサートもその頃になりそうです。個人的には、ハイメ・フナーロの昔からの熱心な1ファンでもあり、また2001年からはギター&チャランゴ奏者に起用されていたという経緯もあるので、雲の上の存在だった人と一緒にレコーディングできるのは光栄極まりないこと、歴史に残る作品を作ろうとはりきっているところです。とりあえずはまた!(今度は政治・社会のことでも書こうかな。)


2月6日 (月)  CD「チャランゴ巡礼」発表記念リサイタル in JAPAN

2月5日(日)、諸般の事情でしばらく延期されていたCD「チャランゴ巡礼」の東京でのオフィシャルな発表記念リサイタルを駐日ボリビア共和国大使館の全面後援で開催しました。会場に選んだのは四ツ谷の「コア石響」。迎賓館の近所の閑静な住宅街にある石造りのアコースティックな響きが抜群の会場で、マイクを通さないチャランゴや他の生楽器本来の美しい音色を演奏者の自分までもが堪能することができました。それほど広くはない会場に90人の方々が来場して下さり、熱気と適度の心地よい緊張感であっという間の1時間半だったと思います。

プログラムはCDに含まれる13曲全て、しかも休憩なしのぶっ続けという試み、そして今回管楽器(ケーナ、サンポーニャ)、ヴァイオリン、チェロなどレコーディング通りの楽器編成をほぼ実現できたことが大きな収穫でした。ますます磨きのかかったギターのホセ犬伏氏、ケーナ&サンポーニャを担当してくれた橋本仁さんと岡田浩安さんの両達人、ヴァイオリンの小松早百合さんはもう共演回数も多いので音楽的にも雰囲気的もばっちりでしたが、初めてセッションしていただいたチェロの星衛さんの音色のまた素晴らしいこと!、豪華共演者のおかげで音楽的完成度の高いコンサートとなりました。また途中、桑原健一さんが第2チャランゴ、安藤みかさんが複雑なチャカレーラ(アルゼンチン舞踊)のボンボで色をそえてくれました。

印象的なことと言えば、何曲かで途中感涙しそうになって(本当です)音や声が出なくなりかけたことです。こんなこともおそらく初めてです。自身が音楽にどっぷり浸っていたというのもありますが、同時に会場の皆さんの真摯な雰囲気、音楽を愛するこころが演奏中にもじんわりと伝わってきたからではないかと思っています。そしてCDの表紙デッサンをいただいた日本画家の高橋祐子さんとブックレットを制作してくれた八巻桂子さんのお二人を紹介した時にはそういう気持ちが最高潮に達したと記憶しています。

ところで当日の会場は、中南米5カ国(ボリビア、ペルー、コスタリカ、ハイチ、アルゼンチン)の大使や大使館員の方々、25年ほど前にボリビアに日本大使として駐在、奥様がエルネスト・カブールにチャランゴを師事されていたという林家栄吉大使ご夫妻など、ボリビア大使館経由のお客さんが4割を占めていました。そういうわけでMCを日本語とスペイン語の完全バイリンガルで行なったことも自分にとってはいい経験でした。思えばボリビアなどでコンサートをする際には日本語はもちろん必要ないのですべてスペイン語だけでOKだったのですが、今回は勝手がだいぶ違いました。またこのような機会をもちたいものだと思っています。

今回特に、ボリビアのホアキン・ダブドゥブ大使と奥様のリリベス・キロガさんには大変お世話になりました。そして会場係やパーティーのオードブル係、司会役、ビデオ撮影、パンフ印刷など裏方で僕の親しい友人の方々にはお礼のしようがない程のご苦労をかけました。会場オーナーの山本さんご夫妻にも色々なことをご指導いただきました。

最後に、ご来場下さった全ての方々に深く感謝するとともに今後もより精進していくことをここにお約束いたします。また4月にボリビアから帰国後はくれぐれもよろしくお願いします。

PD;ケーナ奏者"ハッチャパパ"さんもブログに書いて下さいました(2月9日分)http://blog.goo.ne.jp/jacha2005/

(リサイタルおよび会場での打ち上げの様子、「フォトギャラリー」にも他の写真あります。)

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