月日のうつろひ 2006. 3
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3月27日 (月)  コンセルティーナとの出会い

つい1週間前からなんですが、ずーと前からの念願であったコンセルティーナ(Concertina)という楽器をいじり始めています。コンセルティーナは日本では英語名コンサーティーナとして知られており、イギリス、フランス、ドイツで1820年代に同時発生的に広まったボタン式アコーディオンの一種(下の写真参照)。大きさはとても小さく、タンゴで使うバンドネオンの3分の1くらい、両手に収まる感じの可愛らしい楽器です。この機会にいろいろ調べたのですが、なんと現在の鍵盤式アコーディオン(20世紀初頭発明)やボタン式バンドネオン(1835年頃発明)よりもさらに古い、いわゆる蛇腹を閉開しながら弾くリード楽器の元祖らしいです。

僕がこの楽器を見たのは今から12年前、ここラパスでムシカ・デ・マエストロスのコンサートを初めて聞いた時でした。その際にはただの小型バンドネオンという印象しかなかったのですが、その後同グループに入ることになってボリビア有数のコンセルティーナ奏者ワルド・トゥルヒーリョ氏と親しくさせていただく中で、古いボリビア音楽にぴったりの郷愁を誘う甘い音色の虜になりました。でも現在はイタリアとドイツあたりで細々と生産されているのみで楽器の入手が困難だったことから、実際に習うのは長い間あきらめざるをえない状態だったのです。

そんな中でとうとう今回ラパスで見つけたのは1880年前後のイギリス製で、イングリッシュ・コンセルティーナの発明者チャールズ・ホィートストンの助手レイチェナル女史の工房で作られた1台。なんせ骨董品同然だったので、調律はじめその他の「復旧作業」をしてもらった末に迷わず手にとって始めたのです。で、実際に弾き始めるといろいろな技術面にぶつかり難航してはいるのですが、けっこう楽しんでもいます。小さいので寝る前にベッドで寝転がって練習するのも気持ちいいし(日本のプロ奏者に言ったら怒られると思いますが)。

それにしても、この楽器、19世紀にヨーロッパの船乗りが娯楽用に持ち運んでいたものが南米にも持ち込まれたのですが、南米諸国で国民音楽(日本でいうフォルクローレ)の楽器として根付いたのはここボリビアだけらしいのです。他の国の民俗音楽ではむしろその後に広まったアコーディオン(アルゼンチン、チリ、コロンビアなど)やバンドネオン(ただしアルゼンチンとウルグアイのみ)のみが現在まで残っているようです。なぜボリビアだけでこの楽器が広まったのか不明ですが、でもボリビアでもその最盛期はせいぜい20世紀初頭から中頃までで、今では弾く人は全国で10指に上らないと言われています。つまりは「新大陸」では明らかに存続の大危機にあるコンセルティーナ、今から演奏家になれるとは思っていないものの、何らかの形で日本でもその魅力を伝えられたら、とずうずうしく思っているここ数日です。

(ボリビア・ラパスにて。)

(右は分解写真、放射線状にリードが配置されています。)

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3月6日 (月)  シベリウスとの格闘(?)

ボリビアに来て早くも1ヶ月になろうとしています。実は2月下旬のカルナバル(カーニバル)の時期はずっとインフルエンザにかかってしまい数日間どこにも出れずじまい。本を読んでも頭がくらくらするしまったく困ったものでした。今の季節は暖かい方なのですが、高地都市はとくに昼夜の気温差が激しいのと空気が乾燥しているので僕のような中期滞在の人間は注意が必要ですね。

さて、ここ数週間は予定どおりハイメ・フナーロ氏の新作CDの編曲に没頭しています。それも生まれて初めて使う音楽ソフト「シベリウス」という代物で。もともとパソコンはEメールくらいでしかお世話にならない不器用な自分にとってこのような複雑なプログラムを使いこなせるのかどうかたいそう不安でしたが、幸い同じくアレンジを担当している御大セサル・フナーロ氏が本当に懇切丁寧に教えて下さったおかげで、今ではなんとかスコア譜などはまずまずの速度で作成できるまでになりました。聞けば他にも「ヴィヴァルディ」など数々のソフトがあるそうですが、このシベリウスは使い勝手が抜群とのこと。今はホームステイ先のパソコンに入れてもらっていますが、日本でも同様に作業ができればと思っています。

素人の観点から言えばこのプログラムのメリットは譜面を書いた時点で全体のアンサンブルの鳴り具合が確認できるという点でしょうか。電子音ながら各楽器(チャランゴも!)の音はそれなりに「当たらずと言えども・・・」の程度で再現されているし、何よりも昔は各演奏者にパート譜などを渡して合奏してみて初めて訂正したりして再度スコアごと変更していたのですが、そういう手間が大幅に省けます。しかしこうした機能面の他にも、やはり自分の目で自分のスコアを分析するということが一音楽家としていかに大切なことか思い知らされています。自分のアレンジ面での盲点までもが発見できるからです。その点セサルさんとハイメさんの両マエストロによる編曲に関するアドヴァイスは実に的確で、まさに「目から鱗」の気持ちにさせられます。
そんなわけでまた家に帰って格闘しようっと。

(左)ハイメ・フナーロ氏との仕事。(右)セサル・フナーロ氏と。こちらは飲み会。

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