月日のうつろひ 2009. 9
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9月23日 (水)  カブールさん公演日記(4;東京公演)

カブールさんとの日々も9月23日(水)の
東京公演が最後、
新大阪のホテルでその日の朝を迎えた時には
早くも寂しい気持ちになっていました。

東京公演の会場は「チャランゴの集い」などでも
おなじみの場である築地キューバンカフェ。
連休中とあって集客はなかなか厳しいと予想していたところ、
開場時間(午後3時半)のなんと1時間も前からお店の外に
長〜い行列!、
お店側の電話予約リストには50名足らずしか記されていなかったのに、
実際には100人ものお客さんがつめかけて下さいました。

僕ら一同は新大阪から新幹線で正午過ぎには到着、
音響のプロでもある岡田氏の心強い協力のおかげで
サウンドチェックも滞りなく終了、
あとは最終公演の本番に向けてカブールさんも僕も
ちょっぴり緊張しつつ、
「この数日間本当に楽しかったねえ!」といろいろな
思い出話に花を咲かせました。

予定を15分ほど押して4時過ぎに開演、
前日の大阪では「お笑い」一色モードで
ご機嫌にはしゃいでおられたマエストロも
この日の東京は、やはりラスト公演ということも意識してか
ギャグはやや控え目、
語りの一言一言に落ち着きが見られます。
僕の通訳作業も前日より落ち着いてできたかと思います。

会場にはボリビアにゆかりのある方々も多数来ておられました。
中でも僕の方からお呼びした、
林屋永吉・元ボリビア&スペイン大使ご夫妻のお姿に
カブールさんもいたく感動していました。

林屋大使はカブールさん初来日の1980年当時に
ラパスの日本大使館に駐在しており、
奥様がカブールさんにチャランゴを習われていたというご縁。
カブールさんも前から事あるごとに大使との
思い出話をしてくれていたので、
80歳代というご高齢にもかかわらず
来ていただけてとても嬉しかったです。

プログラムの方は大阪公演とほとんど同じで、
前半はカブールさんの無伴奏ソロが主、
後半はギターとのドゥオ、そしてケーナ&サンポーニャが
入ったトリオ編成で新旧のレパートリーを織り交ぜて
たっぷり2時間の贅沢なコンサートでした。

何といっても前日と同じくカブールさんの演奏は絶好調!!、
前回(3年前)の来日時にはかなりお疲れだった様子でしたが、
今回は「完全復活」と言わんばかりの凄まじい迫力の
演奏を披露してくれました。
来場下さったみなさんもマエストロの健在ぶりを
目の当たりにして心底嬉しい気持ちになったのでは
ないでしょうか?

・・・大きな、割れんばかりの拍手と歓声の中、
無事にステージを終え、すぐに楽屋ではサイン会。

カブールさんは、ふと「今回の公演はとっても
楽しかった、君と演奏できて本当に嬉しかった!、
今度はボリビアでやりたいね」。
そんなお言葉にひたすら感激でした。
ラパスでの厳しいリハの日々を思い返せば
本当に泣けそうになりました。

そして、
「次回の日本ツアーは20年後にぜひやろう」。
20年後って、もうマエストロは90歳じゃないですか!?
「いやいや時なんてあっという間にすぎるよ」。

20年後といわず、また気が向いたときにいつでも
日本に来てほしい、そう言いたかったのですが、
やはり体力的にもきついのかもと思いました。

会場も撤収し、いよいよ別れの時。
覚悟はしていたものの、悲しさが込み上げます。
来年70歳というお歳にもかかわらず
僕らと一緒にスーツケースと楽器をしょって
東京→千葉のわが家→東京→大阪・兵庫→東京と、
4日間にわたって「大移動」させてしまい
申し訳なかったし、
アテンドする側としていたらない部分もたくさん
あったと今はいろいろ振り返って反省しています。

でもカブールさんのあの満面の微笑みを
別れる瞬間まで拝ませてもらえたこと、
それにいつも変らぬおおらかな人柄、
「チャランゴの世界的巨匠」という尊大さや
おごりはこれっぽっちもなく、
あくまでも純朴で時には子供のように無邪気で
お茶目なマエストロ・・・。

この数日間はまるで夢のような日々でしたが、
単なる「夢物語」や「個人的な思い出」のみに
終わらせてはいけない、
カブールさんから学んだことをこれからは自分の
演奏や人生そのものに活かさねば!、
そう強く心に誓ったものです。
それがマエストロへの何よりの恩返しっぽいものに
なればいいかなと思っています。

また、関西、東京と2度の公演はいろいろな方々の
ボランティアによるあたたかい協力なしには
実現できなかったことも付け加えておきます。

関西公演を取り仕切ってくれた近藤眞人さん、
音響の浜さん、その他関西のボランティアのみなさん、
美しいプログラムを制作・印刷してくれた石野さん(DIC資料館)、
キューバンカフェのオーナー清野さんはじめスタッフのみなさん、
サンポーニャ&ケーナで相変わらずの名演を聞かせてくれただけでなく
音響面にわたって細かいアドバイスをいただいた共演の岡田氏、
集客に協力してくれたグルーポ・カンタティのみなさんや
セノビアさん、
都内在住のチャランギスタの同志の方々、
公演に関して激励いただいた木下尊惇さん、
今回のきっかけを与えていただいた
「全日本チャランゴコンクール」の主催者井上ノエミさん、
そしてご来場いただいたすべてのお客様方・・・・・。

加えて、カブールさんの最大の理解者で太陽のような明るさで
僕らにもあたたかく接して下さった奥様のネグラさん、
また立派にスペイン語を駆使してわが家でアテンドしてくれた
妻と、慣れない外国からのお客さんにも笑顔をふりまいてくれた息子の瑞希にも
感謝の気持ちでいっぱいです。

最後にカブールさんの今後の一層のご健康と活躍を
お祈りして、この公演日記を終えることにします。
(完)


9月22日 (火)  カブールさん公演日記(3;関西公演)

9月22日(火)はいよいよ関西公演!
午前中の東京発の新幹線に乗り、
途中新大阪で在来線に乗り換えて
昼過ぎには会場の「集・空・間TIO」(兵庫県芦屋市)に
無事到着。

こちらでは主催の近藤眞人さんが迎えてくれました。
ギタリストでもある近藤さんは僕の出身地でもある関西の
フォルクローレ界の先輩格の方で、
チャランゴなど弦楽器の修理工房もやっておられます。

この近藤さんの他にも会場では、
音響の浜さん(サウンドCIELO)やケーナ奏者の
井上暁さんなど僕の関西での心強い旧友の方々が
みなさんボランティアでお手伝いに来て下さっていて
心から感謝・・・・。

翌日の東京もあわせたった2回限りの来日一般公演ということで、
準備にも緊張感がみなぎります。
この音楽に精通しているベテラン浜さんのおかげで
難なくサウンドチェックは終了、
素晴らしい音響です!

で、予定通り午後3時過ぎには開演となりました。

会場いっぱいにつめかけて下さった
(主に)関西のファンの方々、
カブールさんの演奏を間近で聴こうとこの日を
どれだけ心待ちにしておられたことでしょう。

実はそれは演奏者の僕もまったく同じ気持ちでした。

関西は僕の出身地であるだけでなく、
学生時代にこの音楽の演奏を公式に始めた想い出の地。
また10代の少年時代にカブールさんの来日公演に足を運び、
チャランゴとカブールさんの魅力に打たれ涙した
地でもあります。
同時にボリビア音楽についていろいろ教えて
下さったたくさんの先輩演奏者の方がいます。
上記の近藤さんや井上さんもそうです。

そんな場所で巨匠カブールさんと演奏する・・・、
これは僕にとっては特別な意味をもつことでした。
否が応でも気が引き締まります!

今回の2公演は2部構成で、
前半はほとんどがカブールさんの無伴奏ソロで
僕は通訳を担当します。
ただステージ慣れしていると思っていた自分としては
異常に緊張したせいか、
数ある自分の職業のひとつでもあるスペイン語通訳にも
時として淀みが生じたりしました。
そういう僕を見越したのかどうかわからないけれど、
カブールさんは、なにかしらちょっかいをかけてきます。

たとえば、
演奏中のカブールさんのマイクが下がってきたので
気を使ってそっと途中で上げて直すと、
すかさずマエストロはそのマイクをまた下げる・・・、
会場はもちろん笑いにつつまれます!

そんなお陰で前半の後半にはすっかりリラックス
してきました。とっても気分がいいです!

そして盟友岡田氏の紹介時にカブールさんはなぜか
「それでは若干17歳のサンポーニャ奏者を紹介しま〜す」。

実際には40歳に近いベテラン奏者の岡田さんは、
この分野におけるその知名度は全国区、
なので会場はまたまた笑いの渦。
みかけが若く見えるのでカブールさんは勝手に
「17歳」と名付けたらしいですが。

しかしながら御大の「おちょくり」はそれに
とどまりませんでした。
ある曲で、これは岡田氏はまったく演奏しなくて
いい曲のはずなのですが、
カブールさんは「彼は今までに弾いたことのない楽器で
次の曲を伴奏します。それはハート(心)です」。

で、曲が始まります。
半ばわけわからない状態の岡田氏はしばらくは
僕らの演奏を見守っていますが、
手拍子の部分になると一緒に手を動かし・・・、
その瞬間、マエストロは「演奏ストップ!!」。
いわく「ハートだけで伴奏してねって言ったでしょ!」
またまた会場は爆笑・・・・。
で、曲の最初からまたやりなおし!

休憩はさんで後半戦は主に僕のギターとカブールさんのドゥオ、
終盤には岡田浩安氏のサンポーニャ&ケーナも入ります。

ドゥオの曲はラパスでも手堅くリハを重ねたので出来はまずまず、
管楽器の入る曲はカブールさんの70年代の懐かしの名曲、
初来日の80年代前半以来日本で演奏することはなかったので、
往年のファンの方々にも喜んでいただけたかと。
岡田さんのド迫力のサンポーニャにもお客さんは
びっくり&感動していました。

最後の方の曲ではお客さんも次々に舞台に上がり(上がらされ)、
振り付けをマスター、
会場が一体になって盛り上がった、
そしてカブールさんのユーモアとまったく飾らない人柄に
みなさん酔いしれた、稀有なコンサートになりました。

終演後はサイン会と食事会、
井上さん製作の陶器製ケーナと井上さんと近藤さん合作の
なんと共鳴胴が陶器のチャランゴがカブールさんに
贈呈され、ラパスのカブールさんの楽器博物館に
めでたく展示されることになりました。

また、車いすで南米を旅し10年前にカブールさんと知り合った
私の友人でもある作家&書家の乾千恵さん(大阪在住)とも
感動の再会、
千恵さんは来年ラパスに10年ぶりに行かれるそうで
またの再会を固く約束していました。

そんなわけで素晴らしすぎた関西公演、
でも翌日の東京を控えているので感動を胸にしつつ
新大阪のホテルに夜10時にはチェックイン・・・。


9月21日 (月)  カブールさん公演日記(2;続・リハ編)

公演前日である9月21日(月)は午前中ゆっくり目に起きたら
すでにカブールさん・ネグラさんご夫妻は
わが家のリビングで朝食を終えくつろいでいました。

1歳8か月になった息子の瑞希(みずき)は、
ネグラさんには「おそるおそる」近づき、
そして午後にはネグラさんの手を引いて歩くまでに
なついていましたが、
カブールさんには一切近づこうとせず・・・。
例外もありますが、
男にはなかなかなつきにくいんですねえ。

この日は疲れをとろうと昼前には
同じ柏市内にある天然温泉スパ「極楽湯」に
一同繰り出し、
露天岩風呂を満喫。

僕は前夜の甘口ワインが残っていたので
風呂は早々に切り上げたのですが、
カブールさんはなんと42℃の露天風呂に
40分くらい一度も上がらずに浸かっており、
脱衣所で待っていた僕はマジで、
ひょっとしてのぼせて倒れているんじゃないか?と
気が気でなかったのです。
でも久々の日本の温泉に大満足していただけたようで一安心!

少し遅めの昼食は近所の有名回転寿司「銚子丸」、
ここは僕は千葉県一と思っている超新鮮・特大ネタの
自慢のお店。

入店するやいなやマエストロは
「ここは僕らの分はちゃんと払うから」。
こちらとしては招待さしあげるつもりだったので
「なんで?」。
するとカブールさん、「たくさん食べたいから」。
爆笑・・・・!!

で、実際に初めての来日で生魚はちょっとという
奥様のネグラさんを尻目に、
カブールさんは10数皿をペロリを平らげておりました。
そして「いいよいいよ、僕が招待するから。」、
結局は僕ら家族の分もすべてご馳走して下さったのです。

カブールさんいわく、
「昨日日本での著作権料が少し入ったんで。
せっかく入ったものは、みんなで楽しんだ方が
いいでしょ?」。
・・・・ジーンときました。

この話とは別なんですが、
カブールさんのお金にかんする考え方は
その後も雑談のたびに垣間見ることになりました。
「お金はよりよい生活をするに必要なものだが
同時に人を狂わせる魔物だ。
最低限困らないくらいにあれば、
それ以上の贅沢は必要などないよ」。

カブールさんのけっこう質素な古いお宅を
よく知っているだけに、
また余計な外食をせずに夜はコカ葉をかんで自分の著書を
執筆したり思索にふけったりしている
マエストロをラパスで毎日見ていただけに、
納得できる言葉でした。

さて、回転寿司から帰った後は夕方から家でずっとリハ。
岡田氏はこの日は青森県で演奏のため来れないので
チャランゴとギターのみで最終確認。

今回の公演のプログラムを制作・印刷して下さった
DIC資料館の石野雅彦氏や、
カブールさんとは古いつきあいのボリビア舞踊家
セノビア・ママニさんも東京からかけつけてくれ、
夜はカニ鍋を囲んで、途中演奏なんかも入って大盛り上がり!
まるでわが家がボリビアのペーニャの打ち上げ会場に
なったような雰囲気でした。

演奏面でもまとまりがついたので、
明日からの公演の様子なんかも想像しつつ、
とてもいい気分で一同就寝・・・・。


9月20日 (日)  カブールさん公演日記(1;リハ編)

ボリビア・チャランゴ界の巨匠中の巨匠・
エルネスト・カブールさんの2回のみ(関西9/22&東京9/23)の
来日公演にギター奏者として光栄にもご一緒しました。
そして先日全日程を終えて
今は余韻にひたっているところです。
嵐のように去って行ったカブールさんと奥様のネグラさんのことが、
懐かしくて仕方がない、そんな気分です。

言葉では言い尽くせないほど、
カブールさんはたくさんの「心の財産」を残していって
下さいました。
10数年にもおよぶ長いつきあいであったとはいえ、
今回はマエストロの人となりにずっと深く触れることができ、
それは本当に幸せな体験でした。

音楽そのものや、ボリビアの音楽界の問題にたいする
さまざまな見識についてたえず貴重な意見が聞けたのは
いうまでもないですが、
その他にも、やはり超大物にふさわしい
「きわめて奇特な言動(笑)」にも大いに驚き、
そして笑わせていただき、
今でも周囲にいた人たちとともに思い出し笑いを
しております(もちろんご本人のプライバシーもありますので
すべてをお伝えすることはできないのですが・・・)。

カブールさんはステージ上では冗談好きのエンターティナーで、
笑顔もこの上なく素敵な人なのですが、
普段も同じく冗談で周囲を笑わせるのは事実としても、
根はかなり繊細で、また気難しい面を持っています。
ただそれは決して悪い意味での気難しさではなく、
いってみれば「下町の哲学者」のような雰囲気なのです。

半世紀にわたって現代ボリビア音楽界を背負ってきた
マエストロは単に楽器について詳しいのみでなく、
音楽界そして世の中全体が抱えるさまざまな問題を
つねに熟考し、自分なりの答えでもって実際に
行動を起こします。
その知識は驚くべきもので、また話題が常にマイペースで
「展開(あるいは転回)」するので
時折フォローに苦労するほどです。

さてさて、そんなカブールさんとまずは20日(日)の
午後に両国の知人宅スペースをお借りして、
今回のもうひとりの共演者である
サンポーニャ&ケーナの名手・岡田浩安さんと
3人でリハ。
僕はカブールさんと十分にボリビアで合わせてきたので
ほぼ不安はなかったのですが、
岡田氏とはその時が初めて。

しかし、さすがというべきかあっという間に曲が
出来てきました。
カブールさんも満足そうな様子。

ところがその後に知人がすすめてくれた「甘口国産ワイン」が
けっこうまわったのです。
カブールさんは体調維持のため厳格な食事制限を
とっており、お酒はほとんど飲まないので
(←かつてはものすごい酒豪だったんですが。)
実質僕一人がふらふらになってしまいました・・・。

カブールさんとネグラさんご夫妻はその日の夜から
2泊ほど僕の柏市の自宅に泊まることになっていたので、
練習後は夜8時頃にすぐに電車で移動。
家に着いてからはあまり記憶はないのですが、
カブールさんたちもお疲れの様子だったので
すぐにお休みになったようです・・・。


9月19日 (土)  第1回全日本チャランゴコンクール

本日、錦糸町カメリアホールで
「第1回全日本チャランゴコンクール」という
イベントがボリビア人の人達の主催で行われました。
僕はTOYO草薙さん、ルイス・サルトールさん、
ルイス・カルロス・セベリチッチさんとともに
審査員として参加してきました。

コンクール出場者は6名、
予想よりもずっと少ない人数であったものの、
その演奏レベルは想像を上回るもので、
みなさんすごい実力の持ち主でした。

結果としては静岡県から来られた
渡辺康平さんが一位となりました。
単に技術的に洗練されていただけでなく、
音楽的表現力でも群を抜いていたと思います。

また他の出演者の方々もそれぞれに個性豊かで、
審査員の間でも「順位付け」という「過酷」な作業に
大いに悩まされました。
僕が講評の言葉の中で「こんな作業は二度とやりたくない」と
冗談混じりに言ったのも実はまんざら冗談ではないかと・・・。

イベントにゲストとしてボリビアから招待された
御大エルネスト・カブールさんはあえて講評は
避けられましたが、
後でも「本当に素晴らしいレベルのコンクールだった」と
述懐しておりました。

願わくばこのイベント、来年以降も何らかの形で
継続していってほしいものですね!


9月13日 (日)  ラパスでのカブールさんとのリハ

この分野の関係の方はご存じだと思いますが、
今週土曜(19日)に都内で開催される
第1回全日本チャランゴコンクールの招聘で
来日するマエストロ・エルネスト・カブール氏と
来週22日(芦屋)、23日(東京)で一緒にコンサートを
することになっています。

ということで8月末にラパス(ボリビア)入りしてから
先週末まで2週間びっしりカブールさんとリハでした。

僕はすべての曲がギター担当なのですが、
今までに光栄にも伴奏させていただいたチャランゴの巨匠の方々
(ハイメ・トーレス、センテーリャス、アルフレド・コカ、
ドナート・エスピノーサの諸氏など)とは大きく違い、
カブールさんは人一倍要求の強い(かつきめ細かい)人でした。

別のいい方では、他の名手の人たちはギターは個々の感性に
任せるといったスタイルだったのです(それはそれで
難しいことなのですが・・・・)。

音合わせ中のカブールさんは、
ステージでのほがらかで茶目っ気ある、
いわば「明るいエンターティナー」のイメージとは
まったく違う人でした。

ちなみに初日は「ダメだし」の連続。
師匠いわく、
「何年こっちの音楽やってるんだ!?」・・・。

かと言って、そんなことでくじける自分でもありません
(と信じたい)。

楽譜を使うなど野暮なことはしない師匠なので、
その上、その時のインスピレーションで
曲の部分部分、時には構成そのものがかわる方なので、
こちらも神経を研ぎ澄ませねば到底伴奏など
つとまらないことに気付きました。

その上コカ葉をかみかみ話されるので、
注意事項を聴きとるのもけっこう大変だったのです(笑)。

また、カブールさんの音楽は、
決して出身地「ラパス」のスタイルを代表するものでなく、
カブールさん自身の個性や哲学までもが強く濃くでたものです。

とにかくは「己を忘れて師にとことん合わせよう!!」、
そうやった結果、
3日目には初めてお誉めの言葉をもらいました。
ただし、細かいリズムが未だ不十分だという注釈つきで。
でもマエストロの表情に笑顔が満ちているのを見ると、
それだけで心から嬉しく思ったものです。

で、なんですが、
その翌日くらいからラパスの石畳の通りを歩くと、
いつもの風景がまるで違ったように生き生きしているように
見えたのです。

これには本当にびっくりしました。
一種の魔法のようでした。

カブールさんの音楽はラパス州の民俗音楽を忠実に
継承したものではないはずなのですが、
この街の、あるいはボリビアという国の雰囲気に
ばっちりあてはまるのです、
そういう感覚でした。

それは、
人々(特にラパスの大部分を占める庶民階層の人たち)の表情、
黒々としたガスいっぱいに走る路線バス、
コカ葉売りのおばちゃんたち、
大学を出ただけで調子いいことばかりいって
結局正直ものをごまかす兄ちゃん連中、
自分たちの恥も知らずにその瞬間だけを謳歌する権力者たち、
ずるがしこい為政者たちに抵抗することすら知らず
あくまでもマイペースにその日その日を送る
カンペシーノス(農民たち)・・・・、

と、な〜んかこういう書き方するとわざとらしいけれども、
本当にカブールさんの音楽はこうした「庶民観」、
そう、一部のヌエバカンシオン(中南米の社会派音楽)が
謳うエリート革命家的ソングでもなく、
また、田舎出自のアウトクトナ音楽でもなく、
あくまでもカブールさん自身が育ったラパス庶民地区から
来た自然な感覚の音楽なんだなと解釈しています。

自分は、カブールさんと何十年も家族づきあいをされている
ギタリスト木下尊惇さんの「カブール観」には到底及ばないし、
もしくは自分自身の解釈もありうるのかも知れませんが、
今回の来日ライブでひとつの答えを、
あるいは無理であればその糸口だけでも見つけられればいいかと
思っています。

とりあえずはマイミクのみなさま、
よろしく応援お願いします!
「カブール道場」での成果はいかに!?


9月10日 (木)  センテーリャスさんのお墓参り(ラパス)

今日の午後、去る6月14日に亡くなったボリビアチャランゴ界の至宝
ウィリアム・エルネスト・センテーリャス氏の
お墓参りをしてきました。

ラパスの高級住宅街に下る坂にある大墓地
「セメンテリオ・ハルディン」の一角でした。

センテーリャスさんは長年故郷スクレで療養していましたが、
亡くなる1週間前に「友人がたくさんいるラパス市で
生涯を終えたい」と近親者に意思表示
(アルツアイマーのため言葉も不自由でしたが・・・)、
ラパスに来られて間もなく心不全で亡くなられました。

お墓に同行してくれたのは、
センテーリャスさんの最後の息子さんで
今年14歳になる、ダイジ・エルネスト・センテーリャス君と
そのお母さんのサビーナさん、
そしてサビーナさんの夫君。

ダイジ・エルネスト君は彼がまだ2歳未満の時(97年)に
センテーリャスさんのご希望で
僕がカトリックの洗礼式に参加し、
代父(パドリーノ)になりました。
今は立派で礼儀正しい少年に育っていて、
今回久々に会えてとっても嬉しかったです。

偉大なマエストロであったばかりでなく
家族同様のつきあいをしていたセンテーリャスさん、
その墓前ではなにも言葉はでませんでした・・・。

ただ、墓石に刻まれている文字、
「あなたは常に、天国から私たちを正しく
導いて下さる天使であろう」、
自分にできたことはそれにうなずくことのみでした。

ボリビア芸術界にあまりにも大きな足跡を残されたマエストロ、
その偉大な業績にたいして国からはなんの援助も得られず、
最後まで質素な生活の中この世を去られましたが、
今はこのお墓に献花が絶えぬことを切に祈るばかりです。


9月1日 (火)  クスコの国際チャランゴフェスティバルに参加して

8月30日からボリビアにいます。
31日は、11年連続でラパスで誕生日を祝ってもらいました。
やっぱり長年住んだ街はやたら落ち着きます。

さて、8月25日〜29日まで開催されたクスコの
国際チャランゴフェスティバルは
言葉で言い表せないほどの素晴らしい盛り上がりと
たくさんの出会い、そして最終日の涙の別れ・・・、
ほんとうに来てよかったと感じたイベントでした。

まずはともかく、
ボリビア以外の近隣諸国でのチャランゴソロのレベルが
10年前とは比べものにならないくらい凄いものに
なっている、それが一番の感想でした。

残念なことですが、
ボリビアチャランゴ界はかなりやばいのでは!!??

というのも今回ボリビアからの参加チャランギスタはゼロ、
ボリビア人では往年の歌手のオルランド・ポーソと
チャランゴ製作者のハイメ・ガルシアのみ。

「ダイジ・フクダが日本代表とボリビア代表を兼ねている」、
なんて劇場では本気モードでアナウンスされていました。

演奏者としての参加は、
ペルー、アルゼンチン、コロンビア、メキシコ、そして僕のみ。
で、その演奏内容はボリビアチャランゴ協会主催の
国際フェスティバルをはるかに凌ぐ高レベルのものでした。

開催国のペルーからはベテランから若手まで色んな世代の
演奏者が出ましたが、
それぞれ地方固有のスタイルを尊重した味わい深い演奏、
加えて今回のイベントの注目株であった
新しい世代のマエストロ、フェデリコ・タラソナによる
現代音楽とペルー音楽を合わせたまったく新しい
洗練されたチャランゴ音楽、
これにもかなりショックを受けました。

すぐにジャズやロックとの安易なフュージョンを試みる
エレアコチャランゴ全盛のボリビア音楽界とは
大違いで、
真摯に異なるジャンルの音楽を極めた結果が
真の意味でまったく新しいチャランゴ音楽を
生んだんだと思いました。

またコロンビア勢は、自分達の国では20年前に
チャランゴがコロンビア音楽に導入されたと
明言した上で、
コロンビアのパシージョやバンブーコの名作曲家たちの
レパートリーを、チャランゴの魅力を失うことなく
見事に消化(昇華)していました。
まったく感動ものでした。

アルゼンチンの人たちは、
御大ハイメ・トーレスの影はあまりみられず、
それよりももっと現代的なスタイル
(特に大型のバリトンチャランゴの無伴奏ソロ)が
流行っているようで、
音楽的にもやはり極めて高次元なものを目指していました。

・・・、で肝心の僕は3日目の27日に演奏しました。
なんせギタリストを現地で探すということだったので
レパートリーも含めかなり戸惑いましたが、
すぐにアルゼンチン人のベテラン達の協力を
得ることができ、
ボリビアとアルゼンチンの曲、そしてオリジナルで
なんとか切り抜けました、ホッ。

結局演奏した曲は、
1.牛追い(マウロ・ヌニェス、ボリビア)
2.チェ・ゲバラに捧げるカルーヨ(福田大治)
3.夢想飛行(福田大治)
4.時のチャカレーラ(ケロ・パラシオス、アルゼンチン)
5.チンバ・チーカ(ハイメ・トーレス、アルゼンチン)。

最初の2曲は無伴奏、
3と4ではアルゼンチンのギターのマエストロ、
シルビオ・フラーガ氏による伴奏、
5は、やはりアルゼンチン往年のギタリストの
オルランド・モーロ氏、
そしてなんとわが師ハイメ・トーレスの息子で
チャランギスタのファン・クルス・トーレス氏との
弦トリオという少人数だけど豪華な編成、
とっても気持ちよく演奏できました。

旅行かばんいっぱいにつめて持っていった自分のCDも
終演後15分で完売!、
まったく予期せぬことでした。

クスコのお客さんは僕のギャグにも丁寧に(笑)
応えてくれたし、
それに何よりもMCの中で僕は、
近年チャランゴの起源をめぐってペルーとボリビアの間で
不毛な論争が繰り広げられていることにふれ、
チャランゴは「弦楽器(instrumento de cuerda)で
あって政治の道具(instrumento de politica)ではない、
ラテンアメリカ、そして今や世界中の人々の統合・友好の
シンボルになるべきだ、ペルー人もボリビア人もその他の
国籍の人たちも意味のない論争はやめようではないか」
と、スペイン語のダジャレを交えて
一発演説もどきをかましました。

満員のテアトロの客席からは拍手と熱い歓声・・・、
国際舞台で演奏できたことも良い思い出になったけれど、
南米の人々と熱い思いを共有できたこと、
それが大きな精神的収穫になりました!

また、フェスティバルの最大の魅力、醍醐味は
演奏者全員と同じホテルで、食事も全て一緒に
過ごすため、まるでファミリーのような
あたたかい雰囲気に包まれることです。
これぞ無形の財産だと思います。
日本からの参加だと言葉の問題もあって
取り残されるのではと心配する人もいるかも
知れませんが、そんなことは全然なく、
ラテンの人たちは本当に人懐っこくて
あたたかいでよ。

なお、フェティバルの様子はすべて(全奏者・全曲とも)
youtubeに近々アップされますので、お楽しみに!


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