月日のうつろひ 2010. 2
メニューに戻る
2月4日 (木)  「フォルクローレ」という呼称の問題

今回はまじめなネタです。
非常な、あるいは日記にしては
非常識な(笑)長文です。

実は前々から(少なくとも16年前から)、
日本では主としてアンデス系音楽を指す
「フォルクローレ」というジャンル名に
なにかしら個人的には違和感を覚えているので、
自分自身では「括弧」つきでない限り
積極的には使わないようにしているのですが、
年に何度かいろいろな方から質問をお受けすることがあるので、
ここでひとつまとめてみようと思います。
(この呼び名の経緯を十分ご存じの一部の方は別に
読まなくてもいい記事なのですが・・・。)

まず、もともとフォルクローレ(Folklore)というのは
英語で「民間伝承」あるいは学問ジャンルの「民俗学」を
あらわす単語です。
それをスペイン語読みすると、「フォルクローレ」に
なるわけです。
ちなみにボリビアではフォルクロール(Folclor)と、
綴りも発音もスペイン語的に変更されるケースもあります。

また「民俗学」でなく「民族学」の英語名は
エスノグラフィ(Ethnography)、
このことからも、
巷で見る「フォルクローレ=アンデスの"民族"音楽」という表現は
誤りであるといえるでしょう。

南米のある地域の音楽ジャンルを「フォルクローレ」と呼ぶ
傾向は、アルゼンチンで1950年代に開始されたものです。
それも国策として。

当時中南米のポピュリズムの走りであったアルゼンチンの
ペロン政権は、
国民のナショナリズム(あるいは国家)にたいする忠誠心を
扇動する目的で、
「われわれ=アルゼンチン的なるもの("argentinidad")」を
鼓舞する必要性に迫られていました。

それまで白人が多数を占める自分たちの国アルゼンチンは
ヨーロッパの一部であるという意識が支配的だった時代、
戦後からの経済危機によって、
「ひょっとしたら自分たちはヨーロッパ人でなく
南米人なんでは?」という、
(今考えれば当たり前ながらも)素朴な疑問が
噴き出してきたのです。

それから、牛肉、羊毛、ワインとならぶ
アルゼンチン有数の輸出特産物である「タンゴ」の楽団の
世界公演に、ステージにバリエーションをもたせるという目的で
「フォルクローレ」の演奏家やグループが幕間の脇役ながらも
参加するようになりました。

ただ、当時(1950〜60年代)のアルゼンチンでいう
「フォルクローレ」は、
ユパンキやファルー、スーマ・パスなど大草原パンパの
ギター弾き語りというスタイルが主流で、
アンデス系民俗楽器は例外(Hermanos Abalosなど)をのぞき
まだまだ蚊帳の外でした。

状況が一変したのは1970年にサイモンとガーファンクルが
発表した「コンドルは飛んでいく」にはじまる
アンデス系音楽の世界的ブームでした。

1916年にペルーのアロミーア・ロブレスにより発表された
オペレッタの一部であったこのメロディーは、
50年代からすでにエドゥアルド・ファルーのギター編曲により
徐々に知られていましたが
(日本版レコードでは「禿げ鷹が通る」というタイトルで
一時出たがまったく売れなかったというエピソードあり。)、
S&Gで実際に使用されたのはアルゼンチン出身フランス在住の
グループ、ロス・インカスの音源でした。

そして70年代全体を通じてヨーロッパでもこの日本でも、
「フォルクローレ」というジャンル自体よりは、その花形楽器として
位置づけられた縦笛ケーナが何よりも注目をあび、
当時はやや地味な存在であったパンパイプ属の笛シーク
(=サンポーニャ)や、主に伴奏楽器として使用されていた
弦楽器チャランゴの存在もあり、
「アンデス系民俗楽器」のリスナー層が一躍拡大するとともに、
楽器そのものが比較的安価でありとっかかりも容易だったことで
自分でもこれらの楽器を演奏するという愛好家が
続々と誕生したわけです。

レコード屋さんで分別の際に使われる「ジャンル名」も、
「フォルクローレ」としてすっかり定着しました。

ただしその頃のこの音楽のイメージは、
「素朴な楽器を使った癒し系イージーリスニング」といった
感じだったと思います。
なので今日でも、
特に日本では一般の音楽リスナー層および
大昔からのアンデス楽器ファンの人たちは、
「フォルクローレ」という音楽にはあくまでも
「癒しの効能」を求め続けているように思います。
「民俗音楽に触発された南米の現代ポピュラー音楽」、
またその反対に「野趣あふれる力強い伝統音楽」という
「実像」にはさほど興味を示してもらえないのです。

かと言って、これは全然悪いことでもありません。
音楽の聴き方とらえ方はリスナーそれぞれが決めるものですから。
そういう意味で、
一般の日本人が愛好するヨーロッパあるいはアルゼンチン経由の
癒し系アンデス民俗音楽であれば、
この際従来通り「フォルクローレ」と認識してもぎりぎりいいのか、
とも思います。
その語感が即「癒し」を想起させるものである以上、
すでに日本国内限定の音楽ジャンル名として成立していると
認めざるをえない状況にあるからです。

ここから本題につっこみます。

問題は、僕ら(主としてボリビアあるいはペルー)の音楽を演奏する
人間が「私たちのやっている音楽はフォルクローレです」と
公言することです。

日本の「フォルクローレ」奏者・愛好家の80%くらいは
ボリビア系音楽を演奏しているという現実上、
本国ボリビアでは「フォルクローレ」という音楽ジャンル呼称は
それほど一般的でないということは、
最低限知っておいたほうがいいかと思われます。

実際にはボリビアでは、
「ムシカ・ナシオナル(Música Nacional=国民音楽)」、
略して「ナシオナル」という呼称がもっとも普遍性をもっており、
フォルクローレ(または前記のようにフォルクロール)は
舞踊、音楽、祭り、民俗衣装、民話、一般伝承など
「国民文化・伝統文化全般」を指す言葉として使われています。
あるいはずばり、「ボリビア音楽(Música Boliviana)」と
言われる場合も多いです。

さらに、スペイン系の影響が濃い「ムシカ・クリオーリャ(Música Criolla)」や
主として田舎で奏でられる先住民色の濃い音楽
「ムシカ・アウトクトナ(Música Autóctona)」といった
音楽的分類があると同時に、
「ムシカ・パセーニャ(Música Paceña=ラパス地方の音楽)」など
特定地域名が冠せられる場合もあります。

日本では相当使われる「アンデス音楽(Música Andina)」は
意外にボリビアでは耳にしませんが、
これは「アンデス」音楽の名のもとに、
かつて多くのボリビアの曲をチリ人や
アルゼンチン人音楽家が盗作し、
ひどい場合は自作曲として発表していたことに
たいする反発心もあると、
昔ラパスの電話帳(!)の中のボリビア文化紹介のページで
読んだことがあります。
また当然ながらアンデス地域だけがボリビアではないことも
考慮に入れるべきでしょう。

ボリビア以外の国では、
まずお隣のペルーでは「ペルー音楽(Música Peruana)」や
「アンデス音楽(Música Andina)」などの呼称が一般的です。

「フォルクローレ」という呼称の発祥地であった
アルゼンチンでは今でもCDショップに行くと
確かに「Folklore」と分類されています。
ただ、アルゼンチンでは最近、同国の伝統的音楽を
「Música Folklórica(比較的ポピュラーな要素が
入った民俗音楽)」と「Música Etnica(先住民色が強い
「民俗」というより特定地域の「民族」音楽、
ボリビアでいうアウトクトナ音楽と同じ分類)」
という風に分別する傾向もあるようです。
いうまでもなく、
昔から知られている「フォルクローレ」音楽は
前者の方です。

また、アンデスから遠くメキシコに行くと、
アンデス系およびアルゼンチン・チリ音楽一般は
「ラテンアメリカ音楽(Música Latinoamericana)」と
きわめて曖昧にジャンル分けされています。

とどのつまりは、
大多数の中南米人にとって「フォルクローレ」、
あるいは音楽だけを示す際には形容詞にして
「Música Folklórica(民俗音楽)」とは、
別に地域が特定されたものでは決してなく、
したがってアンデス地域だけではなくキューバ伝統音楽も、
メキシコの田舎の音楽も、ベネスエラの平原音楽も、
それが「民俗文化をベースにした大衆音楽」であれば
すべて「フォルクローレ」になってしまいます。
いやいや、中南米のものに限らず、
また更に音楽以外の要素も含めるならば、
日本の伝統音楽や着物やお見合いや初詣やお花見、
これらすべても「日本のフォルクローレ(Folklore Japonés)」
と言えます。

以上のことから、
殊に本物のボリビア音楽を「フォルクローレ」という
曖昧なジャンル名でくくってしまうには
少なくとも自分自身には抵抗があるのです。

先に書いたように「癒し系音楽」と勘違いされては困るし、
何といっても「民俗文化あるいは伝統音楽」なんて、
まるで名無しのジャンル名に思えてくるからです。

名無しと言えば、いずれも「歌」を意味する単語である
フランスの「シャンソン」やイタリアの「カンツオーネ」も
そうではありますが、
これらは本国でも国際的にも一ジャンル名として
完全に認識されているので、
議論云々が入る隙間は既にありません。
ちなみにスペイン語で「歌」を意味する
「カンシオン(Canción)」は、
中南米では特に伝統形式にとらわれない歌曲のスタイルとして
時折曲タイトルの次に現れる「形式」名です。

ではでは、僕たちは「フォルクローレ」にかわって
どのような呼び名が思いつくか。
・・・・非常に難しいところです。
これが分かればとっくに私あるいは
他の誰かが提唱していたはずです(笑)。

さしあたり例えば自分自身がやっているチャランゴ等の音楽は、
「(主として)ボリビアの民俗音楽にインスパイアされた
ポピュラー音楽」といえるでしょうが、
説明文ならいざ知らず、
こんな長ったらしい呼称はありえないですね。
ですから「チャランゴ音楽」、
あるいは「ボリビア音楽」「アルゼンチン音楽」などと
言うしかない状況です。

そういう意味で、
「フォルクローレ」という分類法はとても便利とも言えるのですが、
だからこそ演奏者は気をつけねばならない、と思っています。

考えてみれば「フォルクローレ」自体も
日本人の10%以下しか知らない音楽ジャンル名なので、
よくある、
「Q;フォルクローレってなんですか?
A;南米アンデスのインカ系の民族音楽ですよ。」などという
不毛な質疑応答は、
21世紀の今にもなって聞きたくないというのが正直な気持ちです。

どうしても答えなければならない場合は、
「実際にはボリビア音楽、ペルー音楽などと呼ばれているんですが、
CD屋さんにも「フォルクローレ」と分類されちゃってるので、
まあ日本限定で・・・。」と付け加えるのが、
目下の苦肉の策です。

なお、以上に書いたことはあくまでも僕自身の見解であって、
いろいろ異なる意見や反論なども存在してしかるべきだと
思っています。その場合はぜひ教えていただきたいです。
当たり前ですが、
ここに書いた自分の「フォルクローレ」観をすべての方々に
押しつけるという気持ちは毛頭ありません。

ただし、16年前からボリビアで暮らし、
この用語について日々深く考えた結果であるということ、
行き当たりばったりの意見ではないということだけは、
付け加えておきます。
(了)

追記;

松任谷由美の『輪舞曲(ロンド)』(1995年発表)に
「フォルクローレ」という単語が出てきますが、
こちらは歌詞から判断するに決して音楽ジャンルのことではなく、
「ずっとしみつく、あるいはしみついた物あるいは記憶」
といった意味で使用されています。
「フォルクローレ」という語の本質をとらえていて見事だと思います。

(↓参考;その部分抜粋)

さあ ページあけて 名前綴ったなら
愛の証しは フォルクローレになる

涙も夢も めくるめく フィエスタ
もう神様しか 二人を離せない
語り継がれる フォルクローレになる

※本稿は「私論ラテンアメリカ」にも掲載しました。


2010/2
SuMoTuWeThFrSa
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28      

前月     翌月