月日のうつろひ 2010. 9
メニューに戻る
9月24日 (金)  南米コンサートツアー報告記(最終回;アルゼンチン・ブエノスアイレス)

いよいよこの2010年コンサートツアー記も最後となりました!

アルゼンチン・パタゴニア地方での2回の演奏も無事終えた
僕と小川紀美代さん(バンドネオン)、
そしてグスターボ・ジョーンズ君(ピアノ、歌、ギター)の
最後の公演地は、首都ブエノスアイレス!ブエノスといえばタンゴ!、
ですね。

アルゼンチンでのプログラムはタンゴの曲が
半分くらいを占めていました。
リスナーとしては子供のころから聞いていたものの、
演奏者としてはとにかくタンゴ経験に乏しい自分にとって、
ある種の度胸試しのようなものでした。
まあ、結局はタンゴのスペシャリストである小川さんの
「音楽力」のおかげでどこの会場でも好評いただけたのですが。

9月18日(土)に開催されたブエノスのコンサートの会場は、
なんと日本庭園(Jardin Japones)!
これはブエノス市内のパレルモという洗練された地区に
1967年に建設された、
池から蟷螂や石庭まで本当に日本の伝統的庭園をそのまま
再現したような公園。

現在は日亜文化財団が維持管理していますが、
必ずしも在住日本人のためにあるものだけではなく、
日頃からブエノスアイレス市民の憩いの場となっています。

そこにある常設ホールでは常日頃から音楽コンサートはじめ、
各種講演会や料理教室などいろいろなイベントが開催されているようで、
僕らトリオのコンサートのこともちゃんと告知していただいており、
当日は200人くらいの客席もあっという間に満員となりました。

演奏する僕らは、
ツアー最後の舞台という気負いはほとんどなかったものの、
今回のツアー全体の思い出などが走馬灯のように駆け巡り、
なんともあたたかい気分にさせられました。

以前にもブエノスに滞在経験がある小川さんの友人の
方々などもたくさん見えて、再会を楽しみました。

中でもこのコンサートを仕切ってくださった、
小川さんのお知り合いである谷口庄平さんとの出会いは、
とてもインパクトがありました。
この谷口さん、もう70近い方なのにどう見ても50歳代にみえる若々しい、
現地で貿易会社をやってられる方。

それがコンサート後の打ち上げで判明したのですが、
なんと1960年代に京都外国語大イスパニア語学科を出た後に
大学時代に結成したラテントリオでアルゼンチンに渡り、
コスキン音楽祭など国内中のフェスティバルなどで大活躍した、
いわば「アルゼンチン・フォルクローレ」の日本人奏者としては
草分け的存在だったのです!

当時の現地新聞を見せてもらうと「Cantores del Sol Naciente
(日出ずる国の歌い手たち)」というグループ名で
大きく載っているではありませんか!

さらに現在のパートナーは、
往年の女性タンゴ歌手ロサウラ・シルベストレさん!
昔、タンゴの巨匠ホセ・バッソの来日公演などにも
専属歌手として同行したアーティストです。
谷口さんとおふたりでCDも出しておられる、
なるほど、太く長〜い素敵な音楽人生なんですね。

ブエノスアイレスではコンサート後に帰国便まで
4日間フリーの日を設けていたので、
その他にも自分の旧友などにも挨拶回りしたりで、
帰国まではあっという間でした。

恩師のチャランゴの巨匠ハイメ・トーレスさんとは
氏がフランス公演中のためニアミスとなりましたが、
師からは「会えなくて残念だけど、君がこのブエノスでも
すべてうまく行くように祈っています」とのメッセージを
メールでいただき、幸せな思いでした。

・・・谷口さん&ロサウラさんらに見送られて小川さんと
9月22日(水)にブエノスの国際空港を発った際には、
この1か月の旅をまるで宝箱にぎゅっとつめて日本に向かうような、
そんな充実した思いになりました!

ボリビアの時にも書きましたが、
今回も本当に素晴らしすぎる共演の方々に恵まれ、
さらに各地でもたくさんの再会と出会いがありました。

このツアー日記を終えるにあたって、
出会ったすべての方々に、
それから日本で留守番をしてくれた家族に、
また、直接間接に応援下さった方々にも
厚く(熱く)御礼申し上げます。
そして、これからも一層精進して行くことを誓いたいと思います。

ありがとうございました!

※なお、今回のボリビア&アルゼンチンツアーのすべては小川さんも
ブログに詳細に、かつ親しみやすい名文で書かれています。
ぜひご覧ください!
http://diario.at.webry.info/201009/index.html


9月17日 (金)  南米コンサートツアー報告記(アルゼンチン・パタゴニア地方A)

パタゴニア地方ではグスターボファミリーのみなさんのおかげで、
けっこうゆっくり5日間も滞在でき、
公演の合間にそれなりに見どころも回りました。

9月14日(火)夜のラウソン公演の翌日はフリーだったので、
ゆっくり寝坊。

夕方からはトレレウ市内のグスターボのお父さんのお宅に集合して、
親族や市内在住の音楽家の方々らと盛大にパーティー。

アルゼンチンの宴会といえばなんといってもアサード(肉の炭火焼き)!
しかもこの日はコルデーロ(羊)の豪快な丸焼きを
目の前でやってもらいました。
お味の方は、それが今までに食べたどんなレストランよりも
やわらかくジューシー、羊独特のクセもなく絶品ものでした!

その後はグスターボ君はじめ集まった音楽家らと延々演奏、
僕はグスターボ君とその同年代の友達と3人とで
なんと朝6時まで演奏して過ごしてしまいました、
138曲はやったと思います・・・。
ボリビアの頃から日程がつまっていてなかなかこういう機会が
なかったので、いい意味で一気に爆発した感じです。

さて、パタゴニア2回目にして最後の公演場所は9月16日(木)、
滞在先のトレレウの古生物博物館内常設ホールでした。

実はトレレウは空港内に恐竜のレプリカがあるくらい
古生物のメッカらしく、
この博物館もアルゼンチンでは大変有名なものだったのです。

恐竜の話はさておき、ホールは150人くらいのちょうど良いキャパ、
集まったお客さんの中には僕のパタゴニア滞在を
世界チャランゴ連盟(AIC)のメーリングで
知って急きょかけつけてくれたという
パタゴニア在住の若いチャランゴ奏者の方々もいて、
それは嬉しい出会いでした。

アットホームなサイズの会場、
また2回目の公演ということもあって前夜よりもリラックスした雰囲気で
プログラムが進みました。

それでもお客さんは前夜のラウソン公演と同じく、
終盤にはみんな総立ちで拍手して下さいました。
パタゴニアの人々ってとても熱い心の持ち主なんですね!
とにかく、また絶対に演奏で戻ってきたいと思わせる土地でした。

コンサート翌日の17日(金)は夜にもうパタゴニアを去って
首都ブエノスアイレスに移動することになっていましたが、
昼間はペンギンの生息地として知られるプンタ・トンボに
連れて行ってもらいました。

パタゴニアに来たからにはぜひペンギンさんには
お目にかかりたいと思っていたので、
これも楽しい機会でした。

意外だったのは、マゼランペンギンは30年も生きるということ、
それに、ペンギンは僕らのイメージのように氷や雪の上だけに
生息しているのではなく、
南米南端のマゼラン海峡から遠く亜熱帯ブラジル南部の海岸まで
毎年大移動しているということです。

実際にプンタ・トンボのペンギンたちは
普通の草むらや砂地でごろごろ昼寝したりしていました。
鳥ではなくまるで野生のタヌキのようなイメージです。

あと、チャランゴの材料に使えそうなアルマジロの姿もあり、
びっくりすることにペンギンの穴(家)に一緒に住んでいる様子が分かり、
これも意外な発見でした。

・・・そんなこんなで5日間のパタゴニア滞在も終え、
僕らトリオは夜の最終便でトレレウ空港から空路2時間半の
ブエノスアイレスへと向かったのでした。


9月14日 (火)  南米コンサートツアー報告記(アルゼンチン・パタゴニア地方@)

ツアー記後半のアルゼンチン編を始めます。

ボリビア公演も嬉しい盛況に終えた後は
ボリビアでの共演者ともお別れ、
僕とバンドネオンの小川紀美代さんは
急ぎ足で次の公演場所であるアルゼンチンへと
飛びました。

アルゼンチンでの一連の公演は、
小川さんの以前からの知り合いで
南部パタゴニア地方トレレウ市在住の
若干25歳の天才ピアニスト・歌手・ギター奏者である
グスターボ・ジョーンズ君とのトリオ編成で行うというもの。
チャランゴが入る曲は数曲だけで、
ほとんどは僕はギターを弾くことになります。

レパートリーもボリビア曲や自分の曲が中心であった
ボリビア公演とはがらりと変わり、
アルゼンチンタンゴとフォルクローレ(←アルゼンチンでは
「フォルクローレ」という用語が一般的なのでここでは
使います)によるステージです。

グスターボ君とは今回が初対面、
しかもボリビアからアルゼンチンのトレレウ空港に着いたのが
最初の公演の前夜の9月13日(月)というぎりぎりの
スケジュール、当然ながら不安がよぎります。

とりあえずはとっても(!!)あたたかい、
ホスピタリティあふれるグスターボファミリーの
お迎えをいただき、ホテル一階の深夜までやってる
レストランでアルゼンチンワインで乾杯!!
コンサートの心配はおいといて、
僕はもういい感じです(笑)。

それに久々に話したり聞いたりする「アルゼンチン弁の
スペイン語」はとても懐かしく、
そして僕を自然にハイテンションにさせるものでした。
実は自分にとっての初めての「外国」は
チャランゴの巨匠ハイメ・トーレスを頼って大学時代に
訪れたアルゼンチン、
いわば自分のラテン人生の最初の舞台だったのです。

一晩明けた後の9月14日(火)、
昼間はグスターボ君、小川さん、
僕とで、ちょっと心配していたコンサートの合わせ。
ところが、これが意外にスムースに進み、
あっという間に15曲のレパートリーは編曲構成も含めて
仕上がって行きました。

グスターボ君の歌とピアノは予想通り素晴らしいもので、
実は彼は生まれつき盲目なのですが、
その純朴でやさしい人柄があらわれるような音楽を奏で、
歌います。早くも感動してきました。

小川さんも音楽的にはお膝元のアルゼンチンなので
ますます快調!

夕刻に、滞在先のトレレウ市から車で45分の、
パタゴニア・チュブト州の州都ラウソン市に移動、
そこのホセ・エルナンデス市立文化会館で
アルゼンチン最初の公演がありました。

開演は夜8時過ぎくらい、どういう宣伝方法か分からなかったのですが、
地元ではかなり知られているグスターボ君はともかく、
無名の自分たち日本人のコンサートにかかわらず
会場はあっという間に満席、400人くらいでしょうか。

「大使館主催」のボリビア公演よりはもうちょっと気軽な雰囲気を
予想していた僕にも一気に、でもありがたい緊張感が走りました!

最初の曲、タンゴの「エル・チョクロ」の後、
グスターボ君があいさつMCをしたところ、
途中で言葉がつまってしまいました。
どうしたのかなと思いちらっと見ると彼、涙を流していたのです!

「こんな素晴らしい日本人音楽家たちと舞台を一緒にできるなんて、
州政府はじめ皆様に感謝しています・・・」と。
僕も小川さんも、もらい泣きしそうになりました。

そして実は、僕らのパタゴニア公演は主催者の
グスターボファミリーのお取り計らいで、
なんとチュブト州政府とラウソン市役所が、
首都ブエノスアイレス−パタゴニア間の航空費と
パタゴニアでの滞在費ほかコンサート開催諸経費を
すべて負担して下さっていたのです!
これには感謝の言葉もありませんでした・・・。

またコンサート中間には、
僕らに対する「ラウソン市名誉賓客証書」の授与式があり、
市長さんから直接手渡されるという、
なんともびっくりするようなシーンが用意されてもいたのです。

なおアルゼンチン公演は、
小川さんがつい最近日本でリリースされた「エンクエントロ
(出会い)」という、ギタリストの智詠氏とグスターボ君の
トリオのアルバム(僕も2曲ゲストで入っています)の
発表コンサートという意味合いもありました。
名人の智詠氏が来れなかったのは残念ですが、
その分自分がギターで頑張らねばならなかったのです。

年齢的には中高年が目立ったパタゴニアのお客さん、
実は若い人たちに負けないくらいとっても熱狂的で、
最後の曲の後はスタンディングオベーションになりました!
感動でした。

幸いこの夜の舞台は地元のビデオプロダクションの方が
高品質のDVDにして下さったので、
近々YouTubeにアップされると思います。

終演後は主催者の方々と、
もう午前0時なのに予約していたシーフードレストランで
ワインと海鮮料理で打ち上げ!
アルゼンチンの人はボリビアよりも夜はかなり遅いようで、
お店もずいぶん遅くまでやっているんですね。

そしてホテルに帰ってからは、
心地よい疲労感の中で眠りにつきました。


9月11日 (土)  南米コンサートツアー報告記(ボリビア・コチャバンバA)

9月11日(土)、
ボリビアでの最終公演は、前夜と同じコチャバンバ市。
この晩は、今までのコンサートとは趣が違って、
日本の無償協力で完成したコチャバンバ市内の
マンセスペ音楽院の移転新築記念式に招待されての
記念コンサートでした。

マンセスペ音楽院は校長先生が藤井さんという大阪出身の方。
80年代に青年海外協力隊でクラシックの音楽教師として
ボリビアに来られて任期終了後もこの国に残り、
そしてコチャバンバでゼロから音楽学校作りを始めたという、
まあとてつもないバイタリティの持ち主です。

そしてこの音楽院新築プロジェクト、
建物だけでなく新品の楽器類もすべてそろっており、
なんでも世界最大級の日本による「文化無償」の
モデルケースになったらしいです。

そんなわけで、夕刻から始まった屋外での記念式典には
エボ・モラレス大統領、エドゥイン・カステリャーノス・
コチャバンバ市長など国内の要人と主要テレビ局・マスコミが
勢ぞろい。

大統領や藤井先生の演説の後は、
屋外の記念レセプションでやたら甘〜いシャンパンを一同いただき、
ここでエドゥインさんにも再会できました!
日本でもボリビア音楽ファンならみんなご存じのとおり、
彼は元カルカスのメンバーで何度も来日している
すごいミュージシャンです。
カルカスを96年に脱退してからトゥパイというユニットで
長く活躍していましたが、
さすがに市長職にあっては音楽活動も休止している様子。

その後生徒さんたちによるオーケストラ(クラシック音楽)の
演奏などがあり、
僕たちがステージに上ったのは夜の8時半くらいだったと思います。
それでも(昼は暑いコチャバンバも夜は冷えるのに)
400人くらいのお客さんが満点の夜空の下の客席で
待っていて下さったのがなんとも有難かったです。

ラパスからずっと続いたボリビア公演、
この夜はリラックスした感じでプログラムも進み、
後半はチャランゴの巨匠アルフレド・コカさんとのセッションで
コンサートは無事終わるはずだったところ・・・、

ここですごいサープライズ!!!

なんとなんと、ステージ後方からボリビア楽器の合奏のような
音色が聞こえてきたかと思うと、
それはこの学校の「フォルクローレオーケストラ」のこどもたち
だったのです!!
団員は全部で40人はいたでしょうか、
彼らは演奏しながら僕らの後ろ側に順番にならび、
そして1曲終えた後には客席からもすごい拍手!!

藤井校長先生がすかさず舞台わきに上ってこられ、
マイクでお客さんに向って(もちろんスペイン語で)、
「昨日ダイジさんと話したところ、
明日夜にはもうこの街を去ってアルゼンチン公演に行かれるとのこと、
実はこどもたちのフォルクローレオーケストラは明日の晩に
コンサートがあるのに聴いてもらえないのは残念極まるので、
今夜は内緒でこういう運びにさせてもらいました」。

演奏者一同、ほんとにジーンときてしまいました!!

その後はこどもたちが演奏する数曲に
ステージに残ったままの僕ら演奏者が即興で合わせる形、
そしてこどもたちの演奏する時の表情がなんとも言えなかったです!
なんか「音楽する人の原点」ってものを彼らから改めて
教わった気持ちになりました・・・。

僕らにとってもこのような素晴らしすぎる形で
ボリビア最終公演を終えられるとは、
まったくみなさんに感謝の言葉もありませんでした。

そして終演後に楽屋に来てくれたこどもたちのチャランゴに
サインしてあげたり、一緒に写真とったり・・・・。

その時僕はふと、30年近く前の関西のワル高校生の頃、
来日したエルネスト・カブールのライブに行って、
終演後に恥ずかしげに片言のスペイン語で
「サインいただけますか?」とお願いして、
自分が初めて買ったばかりのチャランゴの表面に
マジックで書いてもらったのをほんのり思い出しました。

もちろん僕はボリビアの巨匠たちのような大物では決してないけれど、
こどもたちの喜ぶ顔を見るとなんかすごく胸の奥まで
熱くなってしまったのです・・・。

その後演奏者と友人関係者一同は、
夜遅くまでやっているコチャバンバ料理の専門店「カサ・デ・カンポ」に
タクシー分乗で直行!!
ボリビア公演全体の「打ち上げ」とあってか、
その時に飲んだシンガニ(ボリビアの蒸留酒)の
やたらうまかったこと!!

ギターのファン・カルロスさんやサンポーニャのアレハンドロ君とも
その晩でお別れ、音楽家としても超一流だけども、
一人間としても一生つきあいたい、
本当にいい仲間です!!

そう言えば、
そのふたりが前夜の打ち上げでそっと僕に言ってくれたこと。
「今夜のコンサートのMCで君は、ボリビアの音楽のことを
ごく自然に”われわれの音楽(ヌエストラ・ムシカ)”って
表現してた、確か3回ほどかな。
僕らはそれを聞いてうなずけたし、とても嬉しい気持ちになったんだ、
君にはそのような表現をする資格があるんだから」。

ボリビアの人々は音楽ふくめ自国の文化に対するプライドが
いい意味においてとても高いので、
ひょっとしたらそういう表現を現地の人たちに対して使うのは
どうなのかなと思っていたけれど、
その時にふたりにそう言われて、安心というよりも
心底嬉しかった。

・・・・ここでボリビア編は終わりで次回からは
アルゼンチン公演の様子をお伝えします。


★ボリビア公演記の最後に、
「在外公館文化事業」として一連のボリビア公演を主催して下さった
在ボリビア日本大使館(ラパス市)の田中大使はじめ
文化担当書記官、現地スタッフの方々、共催のラパス市役所、
在ラパス日本人会、コチャバンバ市役所、
コンサート期間中なにかとお世話になった友人知人の方々、
そしてもちろんのこと、
日本とボリビア両国のすべての皆様に厚く御礼申し上げます。


9月10日 (金)  南米コンサートツアー報告記(ボリビア・コチャバンバ@)

コチャバンバは標高2500mと、
ボリビアではちょうど「温帯」の気候。
ラパスなどのアンデス独特の冷涼な空気とはうってかわり、
とても穏やか、のどかな感じのする都会です。
何よりも久々に見る緑の山々が新鮮です!

で、9月10日(金)はそのコチャバンバでもっとも格式ある
コチャバンバ市立「テアトロ・アチャ」での公演でした。

こちらでも過去にいろいろなコンサートで
演奏したことがありますが、
中でも、このボリビア公演でずっとご一緒できた
コチャバンバを代表するチャランゴの巨匠
アルフレド・コカさんのソロコンサートで
ギター伴奏させてもらったことも、
素晴らしい想い出のひとつです。
(04年9月のこと、コカさんのCD「Alfredo Coca en Concierto」に
すべて収録されています!)

この夜はさすがコカさんの「お膝元」ということもあり、
彼がコンサートの中盤でステージに現れると
すごい拍手が起こっていました。
コチャバンバの人たちの地元のアーティスト(と文化)に対する
敬愛の念がダイレクトに感じられて
とても嬉しい思いになりました。

ラパスの2つの公演では、僕のステージペースで
コカさんには休憩をはさんだ後半にゲストとして
単独の形で4曲ほど演奏していただけたのですが、
このコチャバンバではそれだけではちょっと申し訳なく、
僕も入ったチャランゴ2本による編成など
ほぼ即興的に(!)ステージが進みました。

またこの夜からは、日本から数日前に到着したばかりの
(ほんとお疲れさまでした〜!!)
サンポーニャのマエストロで長年の親友(だと僕は思ってる)
岡田浩安氏も加わり、
アレハンドロ君とのダブル管楽器で音楽的にも
ずっと厚み(=熱み)のあるものになりました!

ともかくは、満員のお客さんのあたたかい拍手と歓声の中、
無事にステージは終了!!
客席には小学生〜高校生くらいの児童生徒がたくさん来てくれていて、
しかもCDなどまで買ってくれたのには感激しました。
その子たちは実は、翌日夜に僕らが演奏する、
日本の文化無償で移転新築され今回お披露目となる
地元のマンセスペ音楽院の生徒さんたちだったのです。

コチャバンバ最初の夜の打ち上げは、
まず主催関係者(日本大使館)や共催のコチャバンバ市役所の方々と
謎の韓国・日本系料理屋で久々の東洋食に舌鼓を打った後は、
演奏者一同で深夜までペーニャ(ボリビア音楽のライブ酒場)で
地酒シンガニをたらふく飲んで踊ったりの大騒ぎ!
ラパスよりも標高がずいぶん低い分、
不思議と酒のまわりもひどくなかったです。

・・・ちなみに演奏は、女性だけのグループとしては
もっとも有名な「グルーポ・ボリビア」でした。


9月4日 (土)  南米コンサートツアー報告記(ボリビア・ラパスA)

9月4日(土)、ラパス2日目の公演は、
日本人会館(Sociedad Japonesa de La Paz)ホール。
ここには日本政府が文化無償で機材供与(音響・照明)した
立派な設備があり、
やはり僕も過去に自分のレコ発コンサート(05年)を含め
何度も演奏している、おなじみの会場です。

2夜目ともなると、メンバー同士のステージでの意思疎通も
早くも完璧に近い状態になってきました。
グループ演奏の方も円熟味がより増してきて、
個人的には今回のボリビア公演の中では一番自分の理想に近い
演奏ができたかな?とも思いました。

「日本人」会館といってもお客さんのほとんどはボリビア人、
前日のテアトロほど格式ある場所でもなかったので、
お客さんもとてもリラックスして楽しんでおられたように感じられました。
アドリブでのそれぞれのソロ部分でも割れるような熱い拍手!

また自分のMC(スペイン語)に丁寧に(?)反応してくれては
その度に爆笑してくれる、そんなあたたかいお客さん、
もーう最高でした!

ただひとつ悩まされたのは、実は前々日から、
(たぶん)生卵にやられたのか強烈な腹痛下痢で瀕死に近い
状態だったこと・・・。

いくらラパスに慣れているとはいえ油断大敵とはこのことでした。
それでも摩訶不思議なことに、演奏の最中は痛みなど感じられず
ぜんぜん平気だったこと、
つまり演奏にはまったく影響なかったのです。

幸か不幸か、ともこのことでした。
何よりも体調管理には気をつけなきゃ!

ちょっと余談、体調と言えば、ラパスは3700mのアンデス高地、
だれもが「高山病大丈夫?」と心配するものですが、
僕は昔から高山病にはかかりにくいようで、
しかも幸いなことに小川さんも問題なかったようなので
何よりでした。
以前日本から来たジャズのグループは悲惨だったようで、
管楽器奏者なんかは1曲ごとに舞台そでで
酸素ボンベの吸引を行ってなんとかステージをこなしたとか!


9月3日 (金)  南米コンサートツアー報告記(ボリビア・ラパス@)

今回から数回に分けて、この9月に敢行した
南米演奏ツアーの様子を書きます。

前半はボリビア公演(日本大使館主催)、
後半はアルゼンチン公演(アルゼンチン地方州政府など後援)となるのですが、
まずはここに日程をざっと書いてみます。

9月3日;テアトロ・ムニシパル(ボリビア国ラパス市立劇場)
同日深夜;カサ・アルヘンティーナ(在ラパスアルゼンチン人会)
4日;日本人会館ホール(ボリビア国ラパス市)
10日;テアトロ・アチャ(ボリビア国コチャバンバ市立劇場)
11日;マンセスペ音楽院(ボリビア国コチャバンバ市)
14日;ホセ・エルナンデス文化会館(アルゼンチン国パタゴニア地方ラウソン市立劇場)
16日;古生物博物館常設ホール(アルゼンチン国パタゴニア地方トレレウ市)
17日;日本庭園常設会場(ブエノスアイレス市)

と、こんなにも魅力的なスケジュールなのです!

中でもラパスとコチャバンバの両会場は
主催の在ボリビア日本大使館のご助力のおかげもあって、
ボリビアでもっとも格式の高いテアトロ!、
まったく光栄なものです。

共演は、ボリビアでは、
チャランゴ界の大御所マエストロ、アルフレド・コカさん、
ファン・カルロス・コルデロ(ギター)、
アレハンドロ・アラルコン(サンポーニャ)に加えて、
日本から参加の
小川紀美代さん(バンドネオン)と
岡田浩安さん(サンポーニャ)、
まったく超豪華なメンバーでした。

一方、アルゼンチンの2つの公演は、
バンドネオンの名手小川さんが主役で、
パタゴニアの若き巨匠グスターボ・アリエル・ジョーンズ氏
(ボーカル、ピアノとギター)とのトリオになります。
こちらはタンゴなどアルゼンチンの音楽が主です。

さて、今回のツアーの皮切りは、
自分にとってはもはや第2(ひょっとして第1か?)の故郷でもある
思い出深い地・ボリビアのラパス市で、
初日の会場は9月3日(金)、この国の舞台芸術の殿堂である
テアトロ・ムニシパル(ラパス市立劇場)でした。

僕はもちろんのこと、
音楽家ならだれもがあこがれるこの大舞台、
僕は過去にもムシカ・デ・マエストロスや
歌手ハイメ・フナーロの公演、
それにSBC(ボリビアチャランゴ協会)の合同コンサートなどで
何度も立っていた場所ですが、
なんせ自分メインの公演は初めてのこと。
それなりに心地よい緊張感が走りました!

そして当日夜、ボリビア国内のテレビや新聞などでの宣伝、
さらには共催のラパス市役所の文化局ではプレス会見も
やっていただけたおかげで、会場はお客さんでいっぱいに!

ラパスでのメンバーは他に、小川紀美代さん(バンドネオン)、
ファン・カルロス・コルデーロさん(ギター)、
アレハンドロ・アラルコンさん(サンポーニャ&ケーナ&ボンボ)、
これにコチャバンバを代表するチャランゴの巨匠アルフレド・コカ氏が
ゲストで加わるといったぜいたく尽しな陣容。

ファン・カルロスさんとアレハンドロ君は
僕のボリビア在住時から常に共演してくれていた
ビッグプレイヤーで、
リハでも本番でも息はぴったり!

今までの自分のレパートリーの数々に小川さんのバンドネオンが
加わるといった新しいスタイルは、
ボリビアのお客さんにも大変興味深かったようです。

にも増して、ただでさえ優れたバンドネオン奏者がいないボリビアで、
小川さんという名手に演奏していただけたことは、
あらゆる意味でとっても意義あることだったと思います。

終演後、お客さんの何人かから
「今回のDAIJITOの演奏会は(いい意味で)トラディショナルでは
なかったね!」と言われたのが印象的でした。

ボリビアというとてつもない音楽大地で育まれたチャランゴ、
その可能性を他の楽器とのコラボでも最大限に発揮できたと
思います。

大劇場での興奮も冷めやらぬうちに、
その後われわれは深夜から始まるミロンガ(アルゼンチンタンゴの舞踏会)に
ゲスト演奏で呼ばれていたので、はしごしました。

そこでも熱烈な歓迎を受け、
アルゼンチンワインの酔いも手伝って気持ちよく演奏できました。


2010/9
SuMoTuWeThFrSa
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

前月     翌月