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チリのフォルクローレについて

チリのフォルクローレについて  -  kenta90
チリのフォルクローレにおいてビオレッタ・パラやビクトル・ハラなどのヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれる音楽は、どんな音楽に対して「新しい」のですか?
「新しい」というからには、以前に「古い歌」にあたる音楽があったのでしょうか?
そして、現在でもその「古い歌」は、チリで歌われているのでしょうか?
また、その「古い歌」は、レコードやCDで聴くことができるのでしょうか?

「新しい歌」  -  齋藤征範 まう
古い歌、つまり伝統的な音楽やそれを表現した歌に対して、新しい社会を作っていこうと言うメッセージソングを「新しい歌」そう呼ぶと思います。
日本でも以前 学生運動の終わり頃、「歌声運動」なんてのがあったそうですが、そちらに近いと思います。「ニューミュージック」とは別ですよね。チリの伝統音楽としては、日本では現在マプーチェ族の音楽と、イースタ島の音楽(こちらはアンデス系でない)、ヌエバカンスィオンの奏者のアルバムに録音されてるのもあるようです。
いずれにしても情報量は少ないです。私はスペイン語資料を持っていますが全部は見てません。読んでみると、地域毎に案外いろんな音楽、楽器があるようです。たとえば、Rが一個多い、CHARRANGOと言うスティールギター系の楽器があったりします。    であであ。

お返事、どうもありがとうございます。  -  Kenta90
>古い歌、つまり伝統的な音楽やそれを表現した歌に対して、新しい社会を作っていこうと言うメッセージソングを「新しい歌」そう呼ぶと思います。
ということは、「古い歌」は、 お祭りなどで昔から各々の村々で歌い継がれてきた歌、つまりは民謡ということなのでしょうか?

ビオレッタ・パラは、チリ中の村々の民謡を採譜して回ったと 聞きました。
つまり、彼女はチリの民謡の研究家であったわけです。それなのに、その彼女が「ヌエバカンスィオンの中心人物である」ってことが、いまいち良くわからないことなのです。

彼女のオリジナル曲は、曲調がチリの民謡風、 歌詞の内容がヌエバカンスィオンってことなのでしょうか?

もし、ビオレッタ・パラの音楽の曲調がチリの民謡風だとして、どうして、南米にありながら打楽器中心のリズミックな曲調でないのでしょうか?

ご紹介くださった、マプーチェ族やイースタ島の音楽というのは、ビオレッタ・パラの音楽の曲調と似ているのでしょうか?

お母さんを「なんで!なんで!」と質問攻めにする子供状態でどうもすいません。

ビエハ・カンシオンってのは聞いたことはないです。  -  Gatito Negrito
ビエハ・カンシオンってのは聞いたことはないです。
ジャンルとしての認識はされてはいないと思います。ヌエバとビエハで対立するものでは無いんじゃないかなと。いろいろな方が書かれていますけど、昔からあった歌の延長線上にヌエバカンシオンはあるわけです。音楽そのものが変わったのでは無く、変わったのは歌い手の歌に対する意識なんです。で、南米各地でそのような意識革命が起こったわけですが、それに対する悲劇が最も顕著にあらわれたのがチリだったわけですね。アルゼンチンやウルグアイ、ボリビアでもその手の弾圧はあったと聞いています。(今のボリビア大統領って……ね。)

 蛇足ですが、チロエの音楽のCD手元にありますが、これはなんだか東欧の音楽みたいです。とても暖かい感じのする音楽ですよ。


あまり詳しくないのですが・・・  -  Ishino
私も詳しくお答えできるほどの知識はないのですが、参考書(『エル・フォルクローレ』浜田滋郎氏)を見ながら書いてみます。
何に対して新しいのかは、自信がないですが、当時(1950~60年頃)主流であったごく普通の音楽(海外の音楽の影響を受けて発展してきたその国の流行曲)のことで、「新しい歌」はその流れを批判的に継承し、より古い民謡などに原点を見いだして民衆の心や生活を歌っていこうというものではないかと思います。1962年にアルゼンチンで出された新しい歌運動のモットーは、「われわれの歌は、あくまで南アメリカ生え抜きのものでなくてはならない。それは、現実の社会に生きる民衆からのメッセージを、また民衆への呼びかけを担っていかなければならない」というものでした。
ビオレッタ・パラのチリ民謡の収集活動は1950年代半ばからで、民謡を発掘して歌ったり、また自作曲で民衆の苦しみや民族の自覚を訴え、その後のチリのヌエバ・カンシオン運動の原動力となったわけです。ですのでパラの曲集の中には、素朴な民謡も多く含まれていますどれがマプチェの民謡かは、私もわかりませんが、そういったものも当然含まれているでしょう。
>もし、ビオレッタ・パラの音楽の曲調がチリの民謡風だとして、どうして、南米にありながら打楽器中心のリズミックな曲調でないのでしょうか?チリやアルゼンチンの民謡はキューバとかブラジルほど打楽器中心の音楽(黒人音楽)の影響がなく、むしろメスティーソ系音楽のギターに歌というスタイルのほうが民謡といえるのではないでしょうか。
>マプーチェ族やイースタ島の音楽というのは、 ビオレッタ・パラの音楽の曲調と似ているのでしょうか?
イースター島の音楽は、私が行ったときにはチャランゴ(のようなもの)も弾いて演奏してましたけど、CDで聴く 伝統音楽はポリネシア文化圏の特徴をもつ打楽器と歌だけのものです。ビオレッタ・パラ、ひいてはヌエバカンシオンとは全く曲調が違います。
なお、チリの伝統的な音楽(民謡)についてはユネスコ・コレクションのNo1に「チリの民俗音楽」というのがあります。収録曲はビオレッタ・パラにつながるところがありますね。いたらないところはどなたでもフォローをお願いします。

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(本文)

「古い歌」  -  kenta90
Ishinoさん、詳しい説明、どうもありがとうございます。少しずつですが、チリのフォルクローレの歴史がイメージできるようになってきました。

今日、注文しておいた本「八木啓代著/危険な歌(幻冬舎文庫)」が届きまして、この中に、ヌエバカンシオンを『当時のUSA製の商業音楽全盛に対抗しての民族音楽復興運動であり、・・・』という記述がありました。(98ページ)
つまり、これによると、「古い歌」とはUSA製の商業音楽のことのようです。

>チリやアルゼンチンの民謡はキューバとかブラジルほど打楽器中心の音楽(黒人音楽)の影響がなく・・・

ということは、チリやアルゼンチンには、「黒人奴隷があまり連れてこられなかった」ってことなのでしょうか?チリは海沿いの国なのだから、黒人奴隷を連れてくるのは簡単だったと思うのですが・・・。ン~、高地のため黒人はうまく順応できなかったとか・・・?

浜田滋郎著『エル・フォルクローレ』、さっそく、インターネットで、注文しました。在庫があるといいのですが・・・

チリの音楽の地方差 等  -  齋藤征範 まう
チリの音楽の地方差 等について。
1北部(アンデス圏)
    アタカマ地域
     高原地帯
2中南部  ピクンチェ エスパーニャ(白人圏)
     マプーチェ族
3チロータ ウィリンチェ エスパーニャ圏
      チロエ
4イースター島
と楽器分類地理学的?に分けてあるのと、

1チリ北部
北アンデス地域
ティラーナ地域
アタカマからコピアポ地域
アンダコーリョからバルパライソ地域
2中央、、、サンティアゴからコンセプスィオン
3コンセプスィオンからリャンキーウェ
4イースター島
5極南 (パタゴニア)

と分けてあるのを見ました。
(輸入CDでマプーチェやイースタ島、中央部等の音源は聞けます)
私の資料ではチロエやパタゴニアの楽器等の図などの資料はありますが、音源資料は極めて少ないです。
それぞれ特徴があり、チリの音楽といっても地域性多様です。
蛇足ながら、、参考に。  であであ

RE:チリの音楽の地方差  -  Kenta90
オット!なかなか学術的になってきましたね。
まうさん、どうもありがとうございます。
チリの地図とにらめっこしながら読ませてもらいました。
その後、本を読んで知ったのですが、マプーチェ族って部族は、とっても団結力が強くて、チリの独立後まで、スペイン軍に抵抗し続けたそうです。機会があったら、マプーチェ族の音楽って聴いてみたいなって思いました。イメージでは、ビオレッタ・パラのそれと、かさならないですね。

RE2:チリの音楽の地方差  -  齋藤征範 まう
学術的な文献はまだ一杯ありますが訳が大変でそのままになってます。
チリ以外にもいろいろありますが、スペイン語中心です。英語もあったかも。訳してくれる人に喜んでコピー送ります。
CDの解説も訳しておくと結構勉強になる事あります。
であであ


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