QUILAPAYUN
チリのグループ。1965年、3人の大学生たちによって結成された。グループ名のQUILAはチリの先住民の言葉で「3つの、3人の」という意味、またPAYUNは「ヒゲ」という意味。のち人数が増えて7人になるがそのままグループ名とした。リーダー格のエドゥアルド・カラスコは、大学で哲学を専攻し、チリ国立音楽院で作曲方を学んだ。彼らは65年、観光地ビーニャ・デル・マールで開催された第1回民謡祭に出演し、グランプリを獲得して有名になった。66年から3年間、ビクトル・ハラがこのグループに参加し、大きな影響を与えた。その後、中南米諸国はもとより、ヨーロッパを演奏旅行して大成功を収める。1973年にチリにクーデターが起こったときも、ヨーロッパを巡演中だったため難を逃れ、以降パリを本拠として、世界の人々にチリの現状を音楽で訴え続けた。高い音楽性と人間愛の旗手としての自覚という二つの融合を理想とする。1976年に初来日。この時のメンバーは、カラスコ(Eduardo Carrasco)のほか、ギジェルモ・オッド(Guillermo Oddo)(通称ウィリー)、カルロス・ケサーダ(Carlos Quezada)、ロドルフォ・バラーダ(Rodolfo Parrada)、ギジェルモ・ガルシア(Guillermo Garcia)、ウーゴ・ラゴス(Hugo Lagos)、エルナン・ゴメス(Hernan Gomez)の7人。インティ・イリマニと境遇が似ており、その兄貴分とされることが多い。
参考文献:永田文夫著『世界の名曲とレコード ラテン・タンゴ・フォルクローレ』誠文堂新光社、1977年。他。