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[525] あとすこし 投稿者:みーとー 投稿日:2005/09/27(Tue) 13:33  

Ishinoさん
あと少しで帰国ですね。
今回は被害も無い様子なので、良かったですね。
しかしあと少しが気のゆるむ時です気をつけて下さい。
CB-B2のドル札は偽物でなければ日本に戻ってから変えられます。
お持ちの方はご心配なく。
日本に戻ってからは体重に注意です。



[524] 週末レポ 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/27(Tue) 01:39  

帰国の日も近づいてきたので、少しずつお土産を買ったりしているのですが、お土産用に買ったシンガニを、我慢できずにあけてしまいました。ジンジャエールとライムも買って、毎晩晩酌しています。さて、週末の報告です。

24日(土)の朝9時にサンフランシスコ寺院の前を歩いていたら、ちょうど寺院の博物館があいたところなので、ふらっと入ってみました。いつも前を歩いているけど、博物館に入ったのは初めてで、教会の中の歴史的な部屋や絵画を見ることができました。何よりもよかったのは釣鐘堂に昇れたことです。昔ながらの暗くて狭い階段を昇っていって(横からミイラが飛び出して来そうな雰囲気でした。)、教会の屋根の上を歩いていくのでスリルがありました。寺院の屋上から眺めるラパスの町並みはいつも見ている景色とちょっと違って、新たな感動がありました。
夜はテアトロでタンゴとクエッカのコンサートに行きました。あまり期待していなかったのですが、予想以上に良かったです。途中でエステル・マリソルとウィルソン・モリーナのドュオの演奏も聴けました。夫婦で歌が上手ってのはうらやましい限りです。
同じ宿に泊まっている日本人が、ペーニャに行きたがっていたので、コンサートのあと二人でペーニャ・ペニータにボナンサを見に行きました。またいつものごとく、前のテーブルに座っていた地元の男性3人と仲良くなって、ビールをごちそうになったり、一緒に踊りまくったりして、ヘロヘロになって帰ってきました。おかげでボナンサの演奏はよく覚えていません。ギタリストがカルカスに移ってしまったので心配していたのですが、代わりに入ったギタリストも似たようなタイプで安心しました。それよりも、チャランゴのイベール・ダビラもいなくて、他の若手チャランギスタだったのがショックでした。イベールはグループから抜けてしまったのでしょうか?

25日(日)
久しぶりのラパスでの日曜日なので、午前中はムリリョ広場に行き、楽隊の演奏を聴きました(毎週日曜の11時から1時間演奏があります)。そのあと町をぶらついていたら、マリア像をかついだ一団が行進していたので、コロン通りにある教会までついていきました。午後は天気が良かったので、カメラを持って町中の写真やイリマニの写真を撮りました。2年前に住んでいた時と、今とでは行動範囲が若干違っているので、毎日新たな発見があります。



[523] ヤロ・クエリャル コンサート 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/25(Sun) 04:49  

昨日、ホテル・トリノでヤロ・クエリャルのコンサートがありました。オルーロにいたとき、町中に張り紙があり、オルーロでも21日にコンサートがあったのですが、これを見に行くにはオルーロでの滞在を2日延ばさないといけないので、「オルーロまできたら、きっとラパスでもやるだろう」と思って帰ってきました。その読みがあたりました。入場料は25Bs(約400円)とテアトロよりやや高めでした。ビデオを撮っていたら、1部の終わり近くになって、許可なくビデオは撮ってはダメといわれてしまいました。1部が終わってCDを売りに来たので、自分の持っていないCDがあったので買いました。たまたま自分の席のすぐ側がヤロの控え室の入り口で、たまたまサインペンを持っていたので、買ったばかりのCDにサインしてもらいました。そのついでに、「ビデオ撮ってもいい?」とダメもとで直談判したところ、最初はダメと言ったのですが、すぐに「いいよ」と言ってくれました。なんで急に気が変ったのかわかりません。もしかしたらここ2週間ほどひげを伸ばしているので、ひげ仲間として親近感を持ったからかもしれません(そんなわけないか)。おかげで2部は全部ビデオに撮ることができました。スクレでは30分ほどしか聴けなかったのですが、今回は1部2部あわせて2時間半にも及ぶステージで、夜中の2時に終わりました。このホテルに泊まっている人はうるさくて眠れなかったでしょう。


[522] 補足 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/24(Sat) 01:51  

危機一髪
下の投稿をした直後、ネットカフェ室内の電源がすべて落ちました。投稿するのがあと1分遅かったら書いた文章が全部消えてしまうところでした。まったくボリビアはいつどこでなにが起こるかわかりません。

ボリビアン・ダイエット
いつもボリビアにくると体重が減ります。食事はふつうにとっているのですが、運動量が日本にいるときより多いからでしょう。この2ヶ月でベルトの穴2つ分やせました。坂を登っていても体が軽いです。ただ、最近爪が割れやすくなりました。爪を伸ばすとすぐに折れてしまうので、今は爪を切ってしまって、チャランゴがうまく弾けません。あとこのダイエットの欠点は日本に帰った後にリバンドしてしまうことです。

まうさん>
そのCDを聞いたとき、メインボーカルの声に聞き覚えがあって、確かにルイス・アルマンドの声だったと思ったのですが、そこまでいわれてしまうとだんだん自信がなくなってきます。






[521] ルイス 投稿者:まう 投稿日:2005/09/24(Sat) 01:21  

彼は音楽スタジオも持ってるので録音スタッフの可能性も、、、。



[520] HIRU HICHOコンサート 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/24(Sat) 00:50  

昨日(22日)はテアトロ・ムニシパルでイル・イチョのコンサートがありました。カセット時代から割と好きで聞いていて、以前もカサ・デ・ラ・クルトゥーラでのコンサートは聴きに行ったのですが、結成21年にしてついにテアトロでコンサートができるまでになったんだなと感慨深く思いつつ行ってきました。いつものように2時半からチケットを買いに並んだのですが、自分の後ろに結構人が並んできて、「意外と人気があるんだなー」と思っていたら、ほとんどが26日にあるバレット・フォルクロリコ・チリのコンサート(招待客のみ)の招待状を持った人が良い席をとろうとならんでいただけでした。なんとイル・イチョのコンサート自体はあまりに人が少ないため、3階4階席は閉鎖して、1階席のみでした。自分の3階席のチケットも振り替えになったので、値段的には得をしたんですが、わざわざ早くから並んだ意味がなくなってしまいました。
演奏自体は悪くなかったのですが、最近のグループの傾向といいますか、モレナーダばかりでした。これは演奏する側でなく、聴く側がノリの良い踊れる曲ばかりを要求するようになっているからでしょう。今回のボリビア滞在で思っていることは、いまはここ10年の中では一番のフォルクローレ・ブームではないかということです。新しいペーニャも増えてますし、何よりもグループの数が激増しています。今までもそれだけの数のグループがいたのかもしれませんが、少なくともメディアに出てくる機会は格段に増えていると思います。しかし、そのブーム(大衆が求めているもの)がのりよく踊れるというニーズが前提になっているようで、自分としてはその風潮をあまり喜ばしく思っていません。でもこの流れでこの先も進むのでしょうね。もしプント・ナスカがモレナーダばっかりやったらどうしよう・・・・。

Sexteto Vientoの謎
ゆなさん>
確かにリンク先の6人の名前の中にいませんね。でもそのペーニャで音楽がかかっていたとき、CDのジャケットを見せてもらったらルイス・グティエレスの名前がメンバーでクレジットされていたのです。あるいはよくあるレコーディングだけの参加なのかもしれませんが、CD自体も悪くなかったのでぜひ探しだそうと思っています。

ロコトさん>
そんなわけでして、アイラは継続して存続していると思うのですが、それとは別にグループをつくったのかと思ったのです。アイラもお気に入りのグループです。私はヌエバス・ライセス以来ずっとルイス・アルマンドのファンなのです。



[519] grupo Ayra 投稿者:ロコト 投稿日:2005/09/23(Fri) 13:23  

ルイス・アルマンド・グィテレス・マルカが率いているとすれば、
グルーポ・アイラじゃないの?

http://www.ayra.org/historia.htm


[518] Sexteto Viento 投稿者:ゆな 投稿日:2005/09/23(Fri) 04:52  

意欲を削ぐようで申し訳ないのですが、そのグループって、ルイス・グティエレスとは関係ないオルーロのグループではないでしょうか…?
http://www.lapatriaenlinea.com/index.php?option=com_content&task=view&id=3642&Itemid=55


[517] そんなわけで 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/23(Fri) 00:16  

19日(月)後半
昼食は「歩き方」に載っていたプラザに面した中華料理屋に行こうと思ったのですが、どうや店をたたんでしまったようです。かわりに近くにジャッキー・チェンという中華料理屋があったので、そこでラーメンを食べました。午後一番でホセ・ハッチャ・フローレスの銅像を見に行きました。2003年に来たときはまだなく、今回鉄道の中で見たリャフタイマンタのプロモーションビデオに映っていて、ホテルのフロントでどこにあるか聞いて行ってきました。場所はバス・ターミナルから6de agostoに出たところにありました。2004年の9月くらいにできたようです。

そのあと以前行った考古博物館(動物園の隣にある)に行きましたが、前とまったく同じだったのでざっとみて出てきてしまいました。そのあと2個所ほど現地のガイドマップに載っていた博物館に行ってみましたが、閉まっていたり、なくなっていたりして成果はありませんでした。
これでオルーロに来た目的のほとんどが果たせたのですが、まだ一番の目的が達成できていませんでした。それは、ルイス・アルマンド・グィテレス(元ヌエバス・ライセス)の新しいグループ「SEXTETO VIENTO」のCDを買うことです。以前オルーロに来たときに、ペーニャでかかっていてその存在を知り、その後ラパスのCD屋を探し回ってもまったく見つからず、アイニ・レコードから出ているので、オルーロにくれば見つかるだろうと思って数少ないCD屋をめぐったり、メルカードのCDを扱っているところを虱潰しにあたったのですが、どこも置いていませんでした。店の人に聞くと、そのグループは知っているらしいのですが、よっぽど作成枚数が少ないのか、見つけられません。そんなことで町中をさまよっていると、偶然、7月のエンクエントロ・デ・チャランゴの世話人だったルイスという人とばったり出会いました。自分のフルネームを覚えていてくれたのは驚きました。そこで、その人にCDを探しているというと、とある店に連れていってくれました。そこは、昔のレコードを300枚くらい持っていて、頼めばカセットやCDにダビングしてくれる店で、もちろん新しいCDも扱っている店でした。そこで「SEXTETO VIENTO」はあるかと聞くと、「あるよ」と答えたではないですか。でもなぜかレコードの棚を探している。そして出てきたのは「SEXTETO TIEMPO」(1985年DISCOS HERRIBA)でした。がっくり。明日の昼までに取り寄せてくれるというので、たぶん口だけだろうなと思って期待せずに、一応頼んではおきましたが、結局ダメでした。どうでもよいグループのCDは町に氾濫しているのに、自分が欲しいのに限ってどうして見つからないんでしょうね。なんとか帰国までにラパスで見つけようとは思っているのですが、難しそうです。

写真
オルーロ駅と載ってきた鉄道
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.src=ph&.dnm=P9180041.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/lst%3f%26.dir=/Ishino%26.src=ph%26.view=t

滞在したホテルのレストランにあったアルマジロ
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.dnm=P9190050.jpg&.src=ph&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp%3f.dir=/Ishino%26.dnm=P9180041.jpg%26.src=ph

鉱物博物館のイクチオステガの化石
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.dnm=P9190073.jpg&.src=ph&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp%3f.dir=/Ishino%26.dnm=P9190050.jpg%26.src=ph

ホセ・ハッチャ・フローレス像
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.dnm=P9190108.jpg&.src=ph&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp%3f.dir=/Ishino%26.dnm=P9190073.jpg%26.src=ph

もう一枚
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yoditoさん>
サンタクルスにもライオンがいたんですね。しかし逃げたとなると大変です。もう見つかったのでしょうか?
なぜ「エントラーダ」というのかわかりませんが、こちらでは皆そう言っています。。「パレード」というとなんか意味が違ってくるし、日本語にするのが難しいのでそのまま使っています。オルーロでは日・月とも町中でエントラーダの一団を見かけました。お祭りでなくてもなんだかんだでパレードをしたがるのでしょうね。




[516] ライオン 投稿者:yodito 投稿日:2005/09/22(Thu) 13:10  

 昨日ニュースを見てたら、サンタ・クルスでライオンが逃げたとか、、。
エントラーダって「入り口」のような意味かと思ってましたが、行事のようですね。
そういえばなにか意味不明のパレード見たことあったような。


[515] 学生の日 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/22(Thu) 03:21  

今日はプラドで学生(中・高生)のエントラーダがありました。今日はDIA DE ESTUDIANTE(学生の日)だそうです。今日から新学期ということらしいです。
昨日泊まったホテルは、部屋の条件は良かったのですが、如何せんサンタクスルは交通量が多くて車の音がうるさく、また夜中も人の出入りが多くてうるさかったので、今日の昼に以前滞在していた宿に移りました。

偽札騒動
以前、CBではじまりB2で終わる番号のお札が使えないと書きましたが、どうやら、この番号の偽札がでまわっているため、ボリビア国内では、本物・偽物にかかわらず、CB-B2のお札は一切使用ができないようになってしまったらしいです。私はこれをラパスのATMでつかまされたので、さっそく、このお札を持って、それを受け取った銀行に行って、取り替えてもらうように言いました。引き出したときのレシートをとっておいたので、事情を話すと、係員がルーペを使ってにせ札かどうか判断して、どうやら本物だったようで、無事、別の100ドル札と取り替えてもらうことができました。一件落着です。でも、レシートがなかったり、もし本当ににせ札だったら、はたして無事に取り替えてもらえたかわからないと思うとぞっとします。こんなことにならないためにも、お金を下ろすときは銀行の前のATMで、レシートはちゃんととっておいて、お金を引き出したときに番号を確認しないといけないです。

18日(オルーロ1日目)の回想
電車の中ではほとんど眠れなかったので、午前中はホテルで睡眠をとり、午後は今朝みた景色をもう一度みたくて、ミクロを乗り継いでウル・ウル湖に行きました。往復で3時間くらい歩きました。湖にいくと確かにフラミンゴや水鳥がたくさんいるのですが、乾期で干潟になった湖岸には、大量のごみの山。せっかくの自然環境が台無しでした。湖を見に行くなら、雨期の方がよいでしょう。カルナバルでオルーロを訪れた人は、余裕があったら、行ってみると良いと思います。

19日(月)前半
日曜日は市内の博物館が休みなので、この日にいろいろ廻ってきました。

シモン・パティーニョの家
カサ・デ・ラ・クルトゥーラにもなっている、大富豪の邸宅。朝一番で行ったらまだしまっていて、受付に行って開けてもらう。ここはガイドが一緒じゃないと見物できないので、自分ひとりにおじさんのガイドがついてくれた。このおじさん、「触ってはいけません」とあるものも説明しながら、ポンポンさわって、しまいには足でたたいたり、やりたい放題やって、見ているこっちがヒヤヒヤでした。さすがに世界に2,3台しかないというストラディバリウスのチェロはガラス・ケースに入っていて、おじさんも触れないようでした。

鉱物博物館
オルーロ工科大学の中にある博物館で、2003年に行ったときは年末で閉館していました。今回再度チャレンジしてようやく入ることができました。ここはすごい数の鉱物が展示してあり、名前が書いてあってもスペイン語でちんぷんかんぷんでした。かろうじて、元素記号からおおよその見当をつけることができました。まさかこんなところで、高校時代に覚えた元素の周期表の知識が役に立つとは思いませんでした。鉱物以外にも、アンモナイトなどの化石もあり、中でもイクチオサウリオ(イクチオステガ)の完全体の化石は見ごたえがありました。

動物園
ボリビアで唯一のライオンがいる動物園ですが、前に来たときは見たのですが、その後死んだという噂を耳にして、その真相を知るために行って来ました。確かにライオンはいませんでしたが、動物園の人に聞いたら、なんだかの理由で見ることはできないけど、死んではいないとのことでした。はたして真相は・・・?

後半につづく・・・


[514] ラパスに戻りました 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/21(Wed) 08:47  

オルーロに2泊して、今日(20日)の夕方、20日ぶりに心の故郷ラパスに戻ってきました。
ラパスは相変わらず人が多く、車の排気ガスがすごくて空気が悪いです。
宿は前とは別の、魔のサンタクルス通りにあるホテルにしましたが、様子をみて、悪かったらまた前のホテルに戻るかもしれません。
これから、帰国までの20日間、ここに腰を据えて、コンサートやペーニャに行きまくりたいと思います。

オルーロでは、以前インストールした日本語IMEがデリートされてしまっていて、再インストールができなかったので、書き込みができませんでした。遅くなりましたが、これまでのレポートを書きます。

ウユニ〜オルーロ
スクレからウユニ・ツアーまでずっと一緒だった、N田さんと別れて、一人で鉄道駅へ。電車はほぼ時間どおり来て、時間どおり出発しました。ボリビアとしては優秀です。電車が来たのでバックパックを持ち上げようとして、片方の肩ひもだけをもって持ち上げたら、重過ぎたのか長さを調節するプラスチックの部品が壊れてしまいました。30キロもなかったのですが・・・。とりあえず紐を縛って応急処置。大きな荷物は預けなくてもよさそうなのですが、一応預けることにしました。車両に乗り込んで自分の席にいくと、また子どもが座っていたので、そこが自分の席だと言って、横にいた母親にどかすように言ったのですが、母親が頑としてどかそうとしません。こっちは景色のよい側の席をわざわざ早めに行ってとったので、そう簡単にあきらめるわけにはいきません。乗務員を呼んでどいてもらうように言ったのですが、母親はあいかわらずどかず、乗務員もあきらめて、自分にかわりにその母親の席にすわるように言います。ここで気がついたのですが、自分は景色の良い(ウユニ塩湖が見れる)左側の席をとったつもりだったのに、実際には右側の席でした。変わりの席が左側だったので、結果オーライと母親の席にすわることにしました。座ってからわかったのですが、座席のリクライニングが壊れていて倒せないようになっていました。それで意地でも席を変わらなかったのかと納得。自分の席が壊れているから、人の席にすわって、人を壊れた席に座らせるずうずうしさ、自分勝手さは、いかにもボリビアーノです。これと車内のいびきがうるさくて眠れなかった他は、快適な鉄道の旅でした。暖房もきいているし、枕と毛布も貸してくれて、コーヒーとサンドイッチのサービスもありました。さすが一番良いクラスだけあります。この日はちょうど満月(日本で言うは中秋の名月)で、ウユニ塩湖は見えないのですが、そのあたりが満月の光をうけてぼうっと白く光っていました。
朝6時にはオルーロ近くのウルウル湖を通るのですが、線路の両側が湖で、朝の光のなか、湖の中を走る鉄道は、まるで「千と千尋」の世界でした。湖にはフラミンゴもたくさんいて、最高のロケーションでした。オルーロの駅について、プラサの方へ歩いていくと、ホテル・スークレという宿があり、高かったですが(1泊10ドル弱)、場所も便利なのでここに滞在することにしました。
長くなるので、オルーロ編はまた後日。


[513] ウユニより(補足) 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/18(Sun) 10:59  

鉄道の発車までまだ時間があるので、ウユニの写真を4枚ほどアップしました。
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.src=ph&.dnm=P9170338.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/lst%3f%26.dir=/Ishino%26.src=ph%26.view=t

ちなみに鉄道はパスポートを見せて切符を買うので、持っていない場合どうなるのかわかりません。



[512] ウユニより 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/18(Sun) 06:27  

15日(木)スクレ最終日
JICAの知り合いの人の滞在先の家に昼食を招待され、そのあとアベルにギターを弾いてもらい初のリサイタルをしてしまいました。その後ポトシに向かいましたが、ブロッケオもなく、無事に夜ポトシにつくことができました。宿は以前とまったカルロス・キントにしました。

16日(金)ポトシ
スクレの平穏な日々になれていて油断してました。普段だったら絶対に避けていた市場の人込みの中にバックパックを背負ったまま入ってしまい、前に抱えていたカバンをかみそりの刃で切られました。その男、込み合っているのに、わざわざと「PERMISO」言って人を追い越して行くから、急いでるのかと思ったら、また戻ってきてすれ違いにまた「PERMISO」と言って通っていくのでおかしいと思ってカバンをみたら2個所切られていました。もう少し切り口が大きかったらデジカメやらサイフやらが取られていたところです。危機一髪でした。それにしてもその男、わざわざ声をかけていくから、こっちも同じ人が戻ってきたと気がついたので、声をかけない方が気づかれないで盗みが成功するんじゃないかと思うのですが、わざわざ声をかけるのは、カッターで切る時の音をごまかすためなんですね。敵もさるもの、切り裂くものです。まあ、この派手なカバンで2ヶ月無事だったのは頑張ったほうかなと思うことにします。
しかしポトシではさらにショックなことがありました。カラプルカを食べに行き、店をでたあと、喉が渇いたので、ヨタラで買ったチチャを飲もうとペットボトルをあけたら、スクレとポトシの気圧の違いで、中のチチャが、それこそカラプルカのごとく吹き出してしまいました。「ああっ、僕の大事なチチャが…」と思う暇もなく、4分の1ほどがこぼれてしまいました。せっかく旅のお供にと思って買ってきたのに、がっかりです。
ポトシはよくないことばかりおこるので、早々に去ることにして、午後ウユニに向かいました。
ポトシからバスで5時間ほどで、午後6時にはウユニに到着。その夜、レストランでリャマの肉を食べていたら、中から大きいホチキスの針がでてきました。この日はついていない日だったようです。

17日(土)ウユニ塩湖ツアー
ウユニ塩湖、略してウ○コ。今回も日帰りツアーなので、以前とまったく同じコースでした。天気もよく、一面白銀の世界を堪能しました。まさか2回もウユニにくるとは思っていませんでしたが、ここは一度くるとまた来たくなる何かがあります。今日のツアーの一番の収穫は、インカワシ(イスラ・デ・ペスカード)でみた日本人です。なんと剣道着に下駄をはいて、あの岩山を登っていました。一緒に写真をとりたかったのですが、あまりに素早い身のこなしで、あっという間に姿が見えなくなってしまいました。一体彼は何者で、なぜあんな格好をしているのでしょう?
今夜遅くにオルーロ行の鉄道に乗ってオルーロに向かいます。一度やってみたかったボリビア汽車の旅。一番良いクラスの席をとりました。貴社の記者が汽車で帰社した(すごい一発で変換された!!)ウユニのネットカフェは日本人の旅行者が多いせいか、すでにIMEが入っているところが多いようです。以前kenta90さんもここで日本語で書き込めたそうです。でも料金が1時間6Bsと、他の3倍も高いです。物価も観光客向けのものは割高です。

ユタカさん>
書き込みありがとうございます。盛況な会になると良いですね。
帰国後はまたよろしくおねがいします。


[511] 焼肉『富貴』ライブ!! 投稿者:ユタカ 投稿日:2005/09/16(Fri) 00:33  

>Ishino様

ボリビアで、元気そうで何よりです。帰国後はいろいろお話をお聞かせ下さい。また、パワーアップした演奏を聴かせてくださいね。伴奏してくれる日を楽しみにしています。
 ところで、宣伝させてください。

今週末は、八王子・焼肉『富貴』での、楽しいライブですよ。
みなさんも、楽しいフォルクローレを聞いた後に、焼肉をもりもり食べて元気をつけましょう!!ここの焼肉はとても美味しくて、ライブのときのみの、店長自らの仕入れの特別な焼肉セットです。これは食べたらやめられません。是非、いらしてくださいね。かならず、電話予約してくださいね。

2005年9月17日(土)
八王子・焼肉『富貴』
菅沼ユタカ・セッション・
ネオ・フォルクローレ・コンサート

時間:19:00〜
場所:焼肉『富貴』
JR線『八王子』駅北口下車徒歩5分
八王子市三崎町3−4 RJスクエアービル8F
ご予約:0426(28)3889
30名限定
お早めにご予約ください

料金:3000円
(コンサート+1ドリンク+おつまみ)
焼肉セットはコンサートサービスセットをご用意
しています。是非、ご注文下さい

出演:菅沼ユタカ、高橋マサヒロ、菅沼摂子+α

http://www5b.biglobe.ne.jp/~fumihiko/



[510] スクレいろいろ(最終便) 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/15(Thu) 23:01  

3日続いた雨天も昨日ようやく終わり、今日は朝から快晴です。
いよいよ今日の午後スクレを発ちポトシに向かいます。途中ブロッケオがあるかもしれないという噂も聞いています。何事もなく着くことができればよいのですが。

パブロ・ミラネスのコンサート
今年のフェゥティバル・デ・ラ・クルトゥーラのメインイベントと言えるでしょう。キューバの大物歌手のコンサートです。スクレに到着したときから、町中ポスターが張ってあって、宣伝カーでもCDをかけて回るくらい町を挙げて宣伝していました。昨日がコンサートの当日で、昼間のうちにチケットを買っておこうと思って、売り場に行くと、なんとコンサートが中止になったと聴かされました。なんでも当人が風邪でキューバで寝込んでいるとのこと。それならそうとどこかに告知をしておいて欲しいです。聴けなくて残念です。

ニューホンコン
「地球の歩き方」にも載ってる中華料理屋です。ここは豆腐料理がおすすめで、麻婆豆腐が絶品です。また湯豆腐に醤油をかけたメニューもあり、久しぶりに白いご飯と豆腐を食べることができました。ラパスにも豆腐を出す中華料理屋はありますが、味は全然こっちのほうが上です。スクレにお越しの際はぜひ行って見ることをお勧めします。

スクレ市民の足
ラパスでは10人乗り位くらいのミクロがたくさん走っていますが、スクレではそれはまったくありません。全部路線バスです。路線の数がたくさんあって、スクレの人でも覚えきれないほどです。運賃は一律で、どこまで載っても大人は1.2Bs。巡回しているのもあるので、ずっと乗り続けることも可能なのかも?

靴磨き少年
スクレにもいますが、ラパスよりずっと数が少ないです。理由は不明。


[509] 続々々スクレいろいろ 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/14(Wed) 08:32  

以前ラパスで会ったN田さんと昨日スクレで再会し、今日(13日)の午後一緒に隣町のヨタラ(ハチャ・マリュクのチュキミアの故郷)に行ってきました。お祭りのあるときは闘牛とかあってにぎわうらしいのですが、何もない時に行くと、本当に何もない町でした。町の雰囲気はタラブコやビジャ・セラーノに似ていました。先週の土曜日に一緒にエントラーダで演奏した子どもたちのいる孤児院(セントロ・カントゥータ)に行って子ども達に会って、写真を渡してきました。チチャが安かったので2リットルのペットボトル2本分買って帰ってきました。

ビザ更新
また滞在期間を30日伸ばすために、今日の午前にミグラシオンに行ってきました。ラパスて手続きするよりスムーズに行くだろうと思ったら大間違い。わざといじわるして待たしているのかと思うくらいの非能率的な作業で、なんどもコピーをとりに行かされたり、挙句の果てに、自分の書類を隣の建物に持っていかれ、1時間以上待たされました。結局トータルで3時間以上かかりました。ラパスで更新すると2日がかりですが、手続きにかかるトータル時間は1時間半くらいなので、できることならラパスで更新すべきです。費用はラパスと同じく約20ドルでした。

インターネットカフェ
スクレにはたくさんあるのですが、夕方には学校帰りの子ども達がネットゲームをするためにマシンが占領されていて使えないことことが多いです。どこの国も子どもの遊びは変わらないということでしょうか。

さてさてスクレ出発の日も近づいてきました。知り合いもたくさんできたので、別れが名残惜しいです。スクレからの便りも次回あたりが最後になると思います。




[508] 続々スクレいろいろ 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/13(Tue) 00:45  

先週の報告
7日(水)夜、近くの高校の創立記念祭でアベルたちのグループが演奏するので、行きましたが、その日はギタリストが来られないので、アベルがギターを弾くから代わりにチャランゴで出てくれと家をでる30分前になって突然言われました。5曲演奏するので、2曲は知っている曲を入れてもらって、あとの3曲はでてくるコードを教えてもらって1回合わせただけで、ほとんどぶっつけ状態でステージで演奏しました。無謀ながらなんとか演奏してきました。ボリビア初のグループ・デビューでした。自分のリズムのノリで管奏者が乗ってくれるか心配でしたが、なんとか合わせることができました。

8日(木)夜マウロ・ヌーニェス野外劇場で、チャケーニョのグループの演奏を聞きに行きました。スクレではチャカレーラが大人気です。ヤロ・クエラールも出演しました。大人気でした。

9日(金)明日がグアダルペのお祭りの本番なのですが、この日は子どもたちが主役になって、エントラーダがあり、これに自分もボンボで参加しました。ボンボだから楽だと思っていましたが、日差しは強く、皮の紐が肩に食い込むわ、腕もいたくなるわで、結構疲れました。最後は5月25日広場前の教会の前でみんなで跪いてグアダルペにお祈りを捧げました。

10日(土)ビルヘン・デ・ラ・グアダルペのお祭りのパレードを見学しました。この日も日差しが強く、見ているだけでも大変なので、踊る方はもっと大変だと思います。水掛けがないぶん、オルーロの時より楽しんでみることができました。規模はグランポデールやカルナバルに比べて小さいだろうと思っていたのですが、朝から夜中まで60以上のグループが参加する見ごたえのあるものでした。何よりも、スクレにはラパスやオルロより優れている点があることに気がつきました。半分くらいみたところで、日が暮れてしまったので、夜はアベルたちとレストランで夜中まで飲んで、相当泥酔してしまいました。
写真
スクレが優れている点(ここから7枚)。
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.src=ph&.dnm=DSC00091.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/lst%3f%26.dir=/Ishino%26.src=ph%26.view=t

ロス・ミネリートス(鉱夫)の踊りというのを初めて見ました。みんな鉱夫の格好をして、中にはドリルまで持っている人もいます。コカを口に含んで、3歩進むたびにヘルメットを取って汗を拭うふりをしたり、なかなか面白い踊りでした(ここから6枚)。
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.src=ph&.dnm=DSC00102.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/lst%3f%26.dir=/Ishino%26.src=ph%26.view=t

その他いろいろな踊り(ここから7枚)。最後は酔っ払って踊る怪しい日本人。
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.src=ph&.dnm=DSC00109.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/lst%3f%26.dir=/Ishino%26.src=ph%26.view=t

日本語インターネット
スクレにいるJICAの知り合いの人に日本語が使えるインターネット・カフェを教えてもらいました。自分がインストールしたマシンを他の人が使っている時には、ここで書き込んでいます。場所はフニン通りとアヤクチョ通りの交差点から郵便局を背にして坂を下って半ブロックほど行ったところで、向かいが6 de Agostoという薬局があるところです。3、4台ほど日本語が使えて、JICAの連絡所が近いこともあり、ここを利用する日本人が多いようです。

スクレの水道
スクレの水道水はラパスに比べて非常にきれいで、地元の人はそのまま普通に飲料水にしています。私もやむをえず飲んでみたことがありましたが、お腹を壊すこともなく、大丈夫でした。東京の水が飲めれば多分ここも大丈夫だと思います。

スクレの物価
スクレは物価がラパスよりずっと安いです。全体的に2、3割安です。日本から持ってきたビデオカメラのテープ50本をこの2ヶ月で使い切ってしまい、ここで新たに20本ほど買い足したのですが、ラパスで買うと、最初40Bsといわれ、どんなに値切っても35Bsだったのですが、スクレでは最初から35Bsで、20本買うからと言って値切ったら30Bsまで下がりました。市場の食堂で食べる料理もとても安く、それでいて材料が良く、とてもおいしいです。

スクレの治安
これもいわずもがなで、ラパスよりは全然良いですが、やっぱりお祭りなどではスリに気をつけないといけませんし、夜中も一人で歩くのは危険だと言われました。すっかり平和な日常で油断してしまうので、気をつけましょう。そういえば、ズボンの後ポケットに入れていたポケットティッシュがいつのまにかになくなってました。


[507] 続スクレいろいろ 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/08(Thu) 04:04  

スクレの交通事情
ラパスではすでにあまり見られなくなった中古日本車がここではまだまだ活躍しています。すごいローカルな地域のバスとかも走っていたりして、なかなかおもしろいです。ラパスと違ってあるていど大きい交差点にはちゃんと信号があって、みんなきちんと守っています。全般的にモラルはラパスよりずっと高いです。

スクレはもう春
町をあるいていると街路樹のタルコの木が綺麗な紫色の花を咲かしているのを良くみかけます。他にも色とりどりの花が咲いていて、気温もあたたかく、すっかり春の雰囲気です。タルコの木はチャランゴのボディやタルカの材料としても使われるようです。

タルコの木の写真(その後ろが出演したテレビ局)
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テレビ出演
スクレにはフォルクローレを1日中放送している放送局が二つあります。そのうち、チャンネル55には、先日のレストランでの演奏が放送されたそうです。そしてもう一つのチャンネル21に、昨晩行ってきてテレビで生演奏しました。テレビ局と行ってもすごく小さく、ドアをあけたらスタジオで収録していて、スタッフも2人でやっているところでした。演奏するよりもインタビューのほうがずっと緊張しました。でも夜の7時の時間帯で裏番組でサッカー中継をしていたので誰も見ていないと思います。先日の8グループがでたフォルクローレのコンサートでも、チャランゴのコンサートでも、会場は広いのに、観客は少なくて、スクレはラパスに比べるとフォルクローレの人気はないように思えます。

作曲
スクレの星空がきれいなので、それにインスピレーションを得て、クエッカの曲を作ってみました。チャランゴソロ用の曲を作ったのは初めてでしたが、なんとかイメージどおりの曲ができそうです。10月の帰国までにはきちんと演奏できるようにしたいと思います。



[506] スクレいろいろ 投稿者:Ishino 投稿日:2005/09/06(Tue) 05:19  

この3日間はいろんなことがありました。たくさんありすぎますが、とりとめもなく報告します。

こっちに来てから毎日チチャを飲んでいるので、アベルがそんなに好きならと、チチャを作っている家に連れていってくれました。ドラム缶からすくってチチャをのみ放題飲みました。なんだかわからないものが浮いていたりもしましたが、細かいことは気にしないようにします。

金曜日は、昼にアベルの家でバーベキューをしました。なんとアベルは10月に子どもが生まれるとのことで、そのお祝いで友人知人がたくさんあつまりました。
夜は、ラス・レタマスというペーニャでアベルのグループ、アリアが演奏するというので、聞きに行きました。メンバーはアベルとだいたい同じくらいの歳(30前後)なのですが、各パートともすごく上手でした。カバー曲の中には自分のレパートリーとだぶる曲もありましたが、同じ曲なのに、なんでこんなに違うんだろうと考えさせられる演奏でした。

土曜日は昼にレストランで同グループの演奏があるのでついていきました。自分もチャランゴで5曲ほど演奏しました。その夜は、マウロ・ヌーニェス野外劇場でフォルクローレの演奏があり、ハチャマリュクやアマル、オリソンテスなど8グループ出演しました。カント・スールがロック調のグループになっていたのには驚きました。なによりも、ボリビアでは「マシスを見てから死ね」という諺があるように(嘘ですけど)、なかなか見ることのできないマシスの演奏を聞けたのが一番の収穫でした。コンパニェーラやセリアでCDと同じ声が聞こえた時には、感激で、もう本当に死んでも良いと思ってしまいました。

昨日の日曜日は、午後にリンコン・デル・マチェロというペーニャに行き、ヤワール・パチャという女性ボーカルのグループと、サリナ・パリージャというノルテポトシ系のグループの演奏を聞き、夜はチャランギスタのコンサートで、アルフレッド・コカやカブール他、スクレでないと聴けないようなマエストロの演奏を堪能しました。

月曜日の今日はスクレで一番おいしいといわれるチョリソの店に行きました。たった300円ほどで、お腹いっぱいのチョリソが食べられます。スクレにおこしの際は、ぜひ行って見てください。
場所はManco Kapac247 お店の名前は7Lunaresというところです。

南十字星
この時期だと南の空の地平線ぎりぎりに南十字星が見られます。人に教えてもらって初めて南十字星がどれか汁粉とができました。想像していたものより小さくて、目立たないので、教えてもらわないとわからなかったです。

さとうきび
ラパスでは見られないですが、ここでは道端でさとうきびを皮をむいて小さく切って売っています。今までたべたことがないので、これまた生まれて初めてさとうきびをかじりました。ひんやりしていて、あっさり甘く、なかなかの味でした。200gくらいで1ボリビアーノ(15円)です。さとうきびもカーニャと言うんですね。

ラパスと違うといえば、こっちには街頭に立って携帯電話を貸してくれるジャマーダがいません。オルーロでもいなかったので、あるいはラパスでしかなりたたない産業なのかな?と思いました。
さらに、ラパスではなかった「チーノ攻撃」も久しぶりに受けています。東洋人だってわかっても、なんでわざわざ口にだして言うか、その感性がわかりません。誰が言ったかわかれば殴ってやりたいところですが、卑怯にも去り際に誰が言ったとわからないようにして言うから始末が悪いです。

スクレのオスタル
スクレに来て4日目で4回宿を変えました。
一日目はオスタル・ベラクルスで、1泊25Bs。近くに小学校があったり、オスタルの中も騒がしく、熟睡できないので、退散。2日目は以前エンクエントロ・チャランゴでも滞在していたレジテンシアル・ボリビア。1泊30Bsで朝食付き。修学旅行かなにかの中学生の団体がとまっていて、夜中まで騒いで走り回り、朝も早くからうるさくしているので退散。3日目はオスタル・ラプラタ。1泊25Bs。あたった部屋がトイレとシャワーの近くで一晩中人の出入りがあり、音もうるさいので変えてくれと言ったが、他に空きがないといわれ退散。4日目がオスタル・ドラド。1泊25Bs。ここは静かで良かったのだけど、寝ていて背中が痛くなるようなベッドだったので退散。結局今はアベルの家の空き部屋に居候しています。以上スクレ・オスタル情報でした。急いで引越しする際はバックパックはとても便利でした。なんでもパックにつめこんでぎゅうぎゅうづめにしてふたをすればいいだけなので、ずぼらな私に向いているようです。

にせ札?
ATMでおろした100ドル札をボリビアーノに両替しようとして銀行にいったら、この番号(CBで始まってB2で終わる番号)は問題のあるお札だから両替できないと断られてしまいました。ATMから出たものが使えないなんてことは信じられないし、そこにクレームを言ったとしてもはたして他のお札に変えてもらえるかもわからないし、泣き寝入りするしかないのか、思案にくれています。まったく困ったものです。

電話ボックス
町を歩いていると、2メートルくらいの恐竜のモニュメントをよくみかけます。なんだろうと思ってみると実は公衆電話でした。スクレは恐竜の町というイメージを広めようとしているみたいです。面白いので写真にとりました。
http://photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp?.dir=/Ishino&.dnm=P9020098.jpg&.src=ph&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/bc/dic_shiryoukan/vwp%3f.dir=/Ishino%26.dnm=P9040116.jpg%26.src=ph



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